深海-definitely far-

May 12, 2019

深海-Definitely far-

インドネシア。

美しい海の上を船が走っている。

男は険しい表情で海を見た。

 

ポイントにつき、ロープを持った男は荒く息をして、水中に潜って行った。

これはフリーダイビングだ。フリーダイビングは美しい。

 

『Definitely far』

 

自分の部屋で、ヘッドホンをして、リズムに乗る青年ヨゴ。

パソコンではYouTube、テレビからは映画、ステレオからも音楽が流れている。

 

バン

母親がドアを開けた。

「うるさいわよ!消しなさい!」

 

「ああ‥。」

23才のヨゴはヘッドホンをとり、テレビを消した。

「それも。」

「はい。」

母親が睨み、ヨゴはパソコンとステレオも消した。

 

「クリスチャンが来ているわ。」

「よぉ。」

24才の従兄、クリスチャンが顔を出した。

「クリスチャン。どうしたの?」

「可愛い従弟に会いに来たんだよ。」

 

母親はキッチンに戻り、クリスチャンはヨゴの部屋に入った。

「音楽やっているんだ?」

「ちがうよ。興味があるだけ。」

「へぇ。やってみたらいい。ヨゴはまだ若い。」

「うん‥。」

「どんなジャンルが好きだ?」

「ジャズ。」

「ジャズ?意外だな。ヨゴには、ロックか、パンクが似合いそう。」

 

「いろいろな音楽を聴いてみたんだけど、ジャズを聴くのが一番落ち着く。」

「ジャズのどこらへんが好き?」

「メロディーがあまりない所。聴いていて楽になる。」

「そうか。メロディーがないなら、音楽ではないかもな。」

クリスチャンは立ち上がり、窓から外を見た。

 

「だからこそ、ジャズにはテクニックが必要なんだよ。」

「じゃあ、演奏を学ぶことだ。でも、この部屋には、楽器がひとつもない。」

「今はまだ迷っていて‥。兄さんこそ、サーフィンはまだやっているの?」

「サーフィンはもうやめた。今は、アウトリガーの方に興味があるんだ。」

「アウトリガーカヌー?」

「そう。お金があれば、ハワイキヌイを見に行きたいよ。」

クリスチャンは残念そうに言った。

 

 

「アニータ!こっちだ。」

クリアブルーの海で、スクーバダイバーの男が、26歳の女性アニータを呼んだ。

「パパ、今行くわ。」

アニータは、パパの下へ泳ぎ、2人は潜り、撮影をした。

 

アニータのパパのサンディーは、ダイビングショップを経営している。店で流すために、海中映像を撮っていたのだ。

サングラスをつけた2人は、ダイビングショップの前の椅子で休憩し、サンディーは、アニータに聞いた。

「午後は、フリーダイビングをするのか?」

「ええ、そのつもりよ。」

「まだお前は、若い。体に気をつけろ。」

サンディーが言うと、アニータは『信じられない』という目で、サンディーをちらりと見て、言った。

「分かったわ。体は大事にするわね。」

「母さんが癌で死んで、もう2年になる。シシィは、良い人と結婚して元気にしているが、独り身のお前が心配だ。」

「私なら、大丈夫よ。姉さんは、結婚して幸せそうだけど、私は1人の方が楽でいいから。」

アニータは言った。

 

船の上で、アニータは腕立て伏せをした。

「アニータ、準備はいいか?」

スタッフが声をかけた。

「バッチリよ。」

アニータは海に入り、深く息をすると、目の前が真っ暗になった。

そして、海に入って行く。

まるで、賢いシャチに引かれていくような感覚だ。

そして、戻る時は、優しいくらげに引っ張られるような感じになる。

 

海上に出ると、疲れきっていて、海の上で仰向けになる。

「大丈夫か?」

スタッフが声をかけ、アニータはかすかに目を開け、OKサインをした。

 

毎度、死にそうになるが、止める事はできない。

 

ヨゴは、バーで開かれているジャズコンサートに来た。

クリスチャンが、トランペットを演奏している。

「おじさん。」

ヨゴは、クリスチャンの父親を見つけたので、声をかけた。

クリスチャンの恋人のティアラがいる。

ティアラはイスラム教徒なので、ヒジャブをつけている。

 

演奏が終わると、みんなが笑って拍手をした。

クリスチャンのバンドメンバーも微笑んで、頭を下げた。

 

クリスチャンがテーブルに来て、ティアラが言った。

「上手ね。」

「ヨゴがジャズの魅力を教えてくれたおかげだよ。」

「いや、クリスチャンが天才なんだよ。」

「父親の俺も吹いた事がないのに、なぜ簡単に吹ける?」

「それは分からない。やってみたら、なぜか、簡単に出来たんだ。」

「それは、あなたの才能よ。」

ティアラが言った。

 

 

「ただいま。」

夜10時、ヨゴは家に帰った。

母親がキッチンで何かしている。

「クリスチャンのコンサートはどうだった?」

「最高だったよ。クリスチャンは、初めてなのに、トランペットを簡単に吹けたんだって。」

「そう。ヨゴも何か始めてみなさい。」

「うん、そうするよ。でも、しばらく、何をするか、考えてみる。」

 

次の日は、ファーストフード店でのバイトだった。休憩中、ハンバーガーにかぶりつきながら、ジャズ雑誌を読む。

一日八時間のバイトが終わると、体はへとへとになる。

でも、それが心地よい感じがした。

家に戻る前に、どこかの店によると、大人になった気分だった。

 

今日は、レコード屋に寄る。この店は、個人経営の店なので、珍しいCDやレコード、楽譜がたくさん置いてある。

「いらっしゃいませ。」

店主の親父が声をかけたので、ヨゴは会釈をした。

 

ヨゴは店内を見ながら歩くと、女性がCDを持ち、会計に向かった。

ヨゴも300円の古いCDを買うことにした。

店主は、女性と話し始めた。

「アニータ。久しぶりだね。お父さんは元気かい?」

「ええ、父は元気にしています。昨日も一緒にダイビングをしたんです。」

「そうかい。俺も腰を痛めるまでは、よく潜っていた。ダイビングは楽しいだろう?」

「ええ、とっても楽しいです。」

 

「はい、ありがとう。」

「こちらこそ、ありがとうございます。さようなら。」

店主に挨拶をして、アニータは店を出た。

 

店主は、ヨゴにも笑い、ヨゴもCDを買った。

「あれ‥?」

店の前に、定期券が落ちているのに気が付いた。

「これ‥、さっきの人のかな?」

ヨゴは走り、アニータを探した。

「あの、すみません。」

ヨゴは、バッグの中を探しているアニータに、声をかけた。

「これ、あなたの定期券ですか?」

 

「ええ、そうよ。どこで拾ったの?」

「レコード店の前に、落ちていました。」

「どうもありがとう。」

アニータは笑い、駅に入っていった。

ヨゴは、その姿を見つめた。

 

地下鉄に乗ると、アニータは不思議な気持ちになる。

誰にも言っていないし、本人も気づいていないが、アニータは精神病だ。

 

『ピピーン』

アニータは、他の人には見えない、黄色の光のヘルメットをつけた。

アニータはそれを、地下鉄の窓に映る姿で確認をする。それは、アニータにしか見えない。

 

『アニータ姫、今日もお疲れ様です。』

「ええ、でも、楽しかったわ。」

アニータにしか見えない精霊に、アニータは小声で答えた。

 

『今日は、何か特別な事がありましたか?』

「バーガーズで働いている男の子に会ったわ。あの子は、本当に可愛い。

私が定期券をわざと落としたら、届けてくれたの。」

『それは良かったですね!今度、2人で海に行ければいいのに。』

「ええ。何か、きっかけがあればいいんだけど。」

 

次の日、アニータは、パパのダイビングショップでの仕事だった。

パパは、ダイビングのガイドもしている。

一仕事終えて、戻ってきた。パソコン画面に、何か打ちこんでいる。

「パパ、ちょっとお店、ぬけてもいいかしら?」

「ああ。何か予定でも?」

「ええ。ちょっと、会いたい人がいるから。」

 

アニータは自転車に乗り、ヨゴが働くバーガーズに来た。

バーガーズに入ると、鍛え抜かれたアニータの体を見た若い男が口笛を吹いた。

 

「いらっしゃいませ。」

レジ台の下で、何かを整理していたヨゴが顔をあげた。

「あの‥昨日は定期券を拾ってくれて、ありがとう。」

「いえ。僕も、よく落とし物をしますから。」

ヨゴは、アニータに笑いかけて、聞いた。

「ご注文は‥どうなさいますか?」

「じゃあ、チーズバーガーセットを一つ。飲み物はコーラで。」

「かしこまりました。」

ヨゴは、トレーにコーラを載せた。

 

ヨゴが、チーズバーガーを持ってきた。

「お待たせいたしました。」

「はい。」

アニータは思い切って、ダイビングショップのチラシを渡した。

「あの‥、私、このお店で働いているの。」

「ダイビングショップ?」

ヨゴは、チラシを持って聞いた。

「ええ。もし機会があったら、立ち寄ってね。」

「分かりました。」

ヨゴはニヤリと笑い、レジに戻った。

 

アニータは笑い、自転車に乗り、店に戻った。

「ごめんなさい。今、戻ったわ。」

「ああ、ちょうどよかった。外国人のお客さんが来ているから、接客をしてくれないか。」

「いいわよ。」

アニータは英語で接客をした。

 

朝のヨガと夜の筋トレは欠かさない。

朝、ヨガをしながら、深く呼吸をする。

母親が亡くなって以来、アニータは、自分がおかしくなっていることに気が付いていた。

 

朝のヨガの時、アニータしか見えない妖精たちが見えても、アニータは無視する。

でも、夜の筋トレの後は、妖精とのおしゃべりをしてしまう。

そして、時々、別世界に行く。

 

初めてこの世界に来たのは、母親が亡くなった一ヶ月後だ。

「うう‥。」

『大丈夫よ、アニータ。』

女神が、泣いているアニータの肩にさわり、アニータは鏡に吸い込まれた。

 

「ここは‥?」

そこは、空間に終わりがあるかのような場所で、空に限りがあった。

普通の世界では、虹色の雲が隔てない限り、空に限りなんてない。

 

綺麗なお花畑があり、人間のように歩く可愛い豚が来て、アニータに話しかけた。

「誰だい?君。」

「私の名前は、アニータよ。」

「そうか、僕の名前はロピーだ。よろしく。」

「ええ。あの、ここはどこかしら?」

「ここは、ララ王国だ。インドネシアに隠された王族、ララ族の住処さ。でも、ララ族は、80年前の海上戦争で滅亡した。だから、今は、僕たち妖精がここで暮らしているんだ。」

「そうだったの。」

「でも、君は人間。ララ族もみんな人間だった。だから、もしかしたら、君は、ララ族の末裔かもしれない。」

「ええ?」

「こっちに来て!」

ロピーは、アニータの手をとり、走った。

 

ロピーと、アニータは、森の中の道を走り、屋敷まで来た。

屋敷のプールサイドの白い椅子では、ピンク色の猫が、人間のように足を組んで、本を読んでいた。

「アスライル!」

ロピーが呼ぶと、白い帽子をかぶり、紫のシャドーをまぶたにぬったピンク色の猫が、こちらを見た。

「どうしたの?ロピー。」

「人間の子が、迷い込んできたんだ。」

「人間の子が?ここに人間が来るのは、久しぶりだわ。あなた、お名前は?」

「アニータ・ノエルです。」

「そう。ここは、ララ王国。ララ王族の住処よ。聞いたかしら?」

「はい。さっき、ロピー君に聞きました。」

「ララ王族が、80年前の海上戦争で滅亡したことも?」

「ああ、それもさっき、僕が伝えたんだ。」

ロピーが言った。

 

「アニータ。ララ王国の正式名称は、Definitely farよ。名前のとおり、人間の世界からは、明らかに遠いわ。なぜ、あなたが来られたのかしら?」

「あの、私、自分の部屋にいたんですけど、気づいたら、ここに来ていたんです。」

「そう。もしかしたら、ララ王族の血を持っているかもしれないわね。」

アスライルは歩き出し、アニータとロピーも後に続いた。

アスライルは屋敷の中に入り、両親と娘2人の写真を見せた。

「これが、ララ王族最後の一家の写真よ。」

アニータは写真をのぞきこんだ。

 

「この女の子が、前世の私。」

アスライルが、長女を指した。

「前世の?」

「私は幽霊。戦争で亡くなったの。人間界で戦争が起きて、私達も海上で戦うはめになったわ。」

アスライルが人間の姿になった。

 

「そうでしたか。」

「妹の名前は、エスタよ。知っている?」

「いいえ、知りません。」

「そう。じゃあ、どうしてここに来られたのかしらね。」

 

「母が亡くなったばかりなんです。それって、関係ありますか?」

「あなたのお母さんの名前は?」

「マーガレットです。」

「あらそう。マーガレットとは友達だったわ。最近、来なくなっていたから、心配していたの。まさか亡くなっていたなんて、残念だわ。」

「母と友達だったんですか?」

「ええ。人間の友達は何人かいる。でも、みんなたまにしか、ここに来ることはできないの。」

「どうして‥。」

 

「ララ王国への正式な入口は、人間に教えることはできないんだ。」

ロピーが言った。

「秘密を破れば、私たちの魂は消えてしまうわ。」

 

「そんな。」

「とても難しい事なの。ララ王族が生きていた頃も、この場所には、人間はララ王族しか暮らしていなかった。あとは、魂が暮らしていたのよ。簡単に言ってしまえば、ここは、死んだ後の人間が暮らす場所よ。Definitely farは、天国なの。」

アスライルが言った。

 

「天国なら、ここにママがいるかしら?」

「マーガレットには、会っていないわ。ここにたどり着くまでに、魂が過ごす場所があるから、まだそこにいるかもしれないわね。」

「ああ、それは、残念です。」

「そうね。」

 

「元気を出しなよ。アニータのママは良い人だけど、悪人にさえ、生まれ変わりがある。きっと、ママは、アニータの近くに戻ってくるはずだ。」

ロピーが言った。

 

「死は、現在不在証明。最悪なアリバイです。」

アニータが言った。

「ええ、そうね。死は、時間に、嘘も真実も告げることは出来ないわ。」

アスライルが言った。

 

「時間は、最高の芝居を考え、演じるために、必要な物なのに、ママは最高の芝居に死を選んだ。死というのは、永遠に続く芝居だわ。」

アニータが言った。

「アニータ。死は、誰しも、最後に演じる物だよ。」

ロピーが言った。

 

「人生で良い役を演じるには、死ぬか生きるかのギリギリの場所をステージに選ぶことよ。」

アスライルが言った。

「命を懸けの芝居には、時間が鍵を渡してくれるわ。そうなれば、どんなに時間が経っても、恐い物はなくなるの。」

 

「マーガレットは、最高な素敵な女性だったわ。」

 

『いい?私達、ララ王族は、80年前の海上戦争で滅亡したの。Definitely farへの入口は、決して、教えることは出来ない。』

 

『美しい体を持っていれば、どんな役でも演じることができるわ。

海に命を捧げるの。もちろん、それは芝居よ。』

 

アニータが、フリーダイビングを始めて、もうすぐ2年になる。

 

キキッ

アニータは、パパのダイビングショップに来た。

ケー自動車の運転手と、パパが話している。

「ヨゴさん?」

アニータは笑った。

「こんにちは。駐車場の場所を間違えたみたいだ。」

 

「知り合いなのか?」

「うん。彼に、落とし物を拾ってもらったの。」

「良い人だ。」

「ええ。」

 

ヨゴは、ダイビングの機材を見たりした。

「実は、まだライセンスを持っていないんだ。」

「じゃあ、取るといいわ。パパもガイドをしているの。」

 

ヨゴは、ライセンスを取る手続きをした。

このダイビングショップでは、そういう事も受け付けている。

店から出た2人は話した。

「ちょうど良かった。ダイビングをしたかったんだよ。」

ヨゴが言った。

「ダイビングはとても楽しいわよ。私は、競技として、フリーダイビングをしているの。」

「ああ。オリンピックには、採用されなかった競技だ。」

「そうよ。でも、私は、インドネシアの海以外では、潜るつもりはないわ。」

アニータは言った。アニータはヨゴなら、自分の異世界の話を信じてくれるような気がした。

 

ヨゴが聞いた。

「でも、フリーダイビングって、孤独じゃないか?」

「ええ、とても孤独よ。でも、人は、孤独の時、どう過ごすかで、凡人か天才かエリートの道に別れるわ。」

「そうなんだ。」

「孤独の時は、誰もが不安になる。自己嫌悪や他人への悪意を募らせるのなら、凡人よ。

愛する人や愛してくれる人を想うのなら、エリートになるでしょうね。

でも、自分の内なる声に耳を傾け、可能性を見つけて、世界に発信しようと思うのなら、天才になるわ。」

アニータは言い、ヨゴはしばらくアニータを見つめた。

アニータは、今まで、自分が話していた妖精は、自分の中の内なる声だったのかもしれないと思った。

「君は立派な人だ。君のこと、なんて呼べばいい?」

「アニータでいいわよ。」

アニータは笑った。

 

数日後、ダイビングショップでの仕事を終えたアニータは、パパに言った。

「今日は、ヨゴと出かけてくる。」

「そうか。楽しんで。父さんのことは心配しなくていい。」

「ありがとう。」

 

アニータが、待ち合わせのバーにつくと、ヨゴがスマホを見ながら、待っていた。

初めてのデートの日、男が大体チェーンをつけているのが、不思議だ。

「アニータ。」

ヨゴがこちらを見た。

「こんばんは。」

 

2人はバーに入った。

「クリスチャンの演奏は最高なんだ。まだ始めたばかりなのに、プロみたいに上手い。」

「そうなんだ。」

アニータは、バーを見回した。

「こういう場所は苦手?」

「いいえ、平気よ。」

「そっか。」

ヨゴは、アニータの手をとった。

 

「ティアラ!」

「こんばんは、ヨゴ。」

「クリスチャンの恋人のティアラだ。一緒に座ってもいい?」

「ええ、もちろん。」

 

「ヨゴの彼女?」

「いや、そういうわけじゃない。」

「そう。ティアラよ、よろしくね。」

「アニータです。こちらこそよろしくお願いします。」

 

ちょうどバンドが登場して、演奏を始めた。

演奏が終わり、クリスチャンがティアラの下に来て、頬にキスをした。

「ヨゴの彼女かい?」

「いえ、違います。」

「そうかい。でも、可愛い子だ。」

クリスチャンは、バンドメンバーの下に戻った。

 

ティアラが言った。

「クリスチャンは、私のために、キリスト教徒から、イスラム教徒に改宗してくれたの。」

「そうなんですか?私は仏教徒なんです。」

「仏教もいいと思う。でも念のため、ヒジャブを持っていた方がいいわ。」

「はい‥。」

「ティアラさん、アニータはダイバーなんだ。だから、ヒジャブはつけない。」

「へぇ、あなたってそうなの?」

「ええ。でも、ダイビングの時は、全身スーツを着ますから、ヒジャブもつけるわ。」

「そう。全身スーツを着るなら、イスラム教徒の私でも、ダイビングができそうね。」

「もちろんです。」

「ティアラさん、俺も、今度、ダイビングのライセンスをとるつもりなんだよ。」

「そう。じゃあ、いつかみんなで、海に潜れるといいわね。」

 

 

ヨゴは、クリスチャンたちと話し、アニータはバーの外で、ヨゴを待った。

アニータの前に、アニータしか見えない精霊ルーが現れた。

『アニータ姫、彼氏が出来たんですか?』

「いいえ、まだちがうわ。でも、今日は、彼の従兄のジャズを聴きにきたの。」

アニータは、精霊のルーとのおしゃべりを続けた。

 

ヨゴは少し離れた場所から、アニータの姿を見つめた。

 

「ごめん、アニータ。」

「ああっ。」

アニータの前から、精霊ルーは消えた。

「今、何かいた?」

「いえ。」

「でも、しゃべっていたでしょ?」

「今のは、一人言よ。」

「そう‥?」

 

2人は歩き、アニータは辛くなって、泣いた。

「どうしたんだい?なんでも僕に話してくれて大丈夫だ。」

「ありがとう。」

 

「時々、私には、精霊が見えるの。」

「そうか。一体、それはどんな精霊なんだい?」

 

「小さくて、黄色で、見た目はヒヨコみたいな感じ。」

「そうなんだ。可愛いんだね。」

「ええ。それで、夜、時々、筋トレの後に、別世界に行くことがあるわ。

その場所の名は、definitely far。正式な入口は、決して、誰も言う事ができない。

そうなれば、魂が消えてしまうの。」

アニータは話し、ヨゴは立ち止まった。

アニータは振り返った。

「ヨゴ?」

 

「僕にはまだ分からないけど、夜の筋トレを止めてみたら?」

「ええ?」

「多分、君は疲れている。少し、休んだ方がいい。」

ヨゴは、アニータの背中を支え、歩いた。

 

家までつくと、アニータが言った。

「今日はありがとう。」

「また会おう。」

「ええ。」

「おやすみ。」

 

アニータはお風呂の後、筋トレをしようと思ったが、ヨゴの事を思い出して、止めた。

軽くストレッチをしながら、雑誌を読むと、普通の女の子に戻ったようだった。

 

眠りにつくと、definitely farに来た。

「ロピー!」

お花をつんでいたロピーが、アニータに気づいた。

「アニータ!ちょうど良かった。今日、城に住むブルーウォルフに会いに行く日なんだ。」

「ブルーウォルフ?」

「うん。Farを仕切っている神様だよ。」

 

日傘をさしたアスライルが歩いてきた。黄色の昔風なワンピースを着ている。

「アニータ。ブルーウォルフは私達にとっての最高神よ。スターティングシグナル(狼煙)が上がった時は、何か私達に知らせがあるという意味なの。」

蒼白い狼煙が上がっていた。

 

「一緒に来てくれるかしら?」

「はい、もちろん。」

 

歩きながら、アスライルが聞いた。

「最近、何かあった?あなたは、とても綺麗になったわ。」

「実は、好きな人が出来たんです。」

「そうなの。それはよかったわ。」

 

「何かあったら、すぐに精霊のルーに相談するといい。」

ロピーが言った。

 

「でも、彼は、精霊のことや、この世界の事が、分からないみたい。」

「そうなんだ。じゃあ、僕たちのことは、まだ話してない?」

「うん‥。」

「仕方ないわ。普通の人には、分かりづらいことよ。アニータ、精神が狂っていると思われたら、恋はおしまいよ。」

「はい。」

「世界に認められるには、狂った事をする必要があるわ。でも、それはとても危険な賭けになる。」

「アスライルさんには、好きな人がいましたか?」

「ええ、いたわ。夢を追いながら、恋愛をする事は、野球の試合のような物よ。

あなたがピッチャーで、好きな人がキャッチャー。2人の距離は離れている。ピッチャーは、観客を沸かせるために投げているように見えるけど、本当は、いつでもキャッチャーの事を考えている。」

「ああ‥。」

「神様や精霊同士の恋愛も、そのような物よ。2人の距離は離れている。神様や精霊には、肉体がないから、心で想うだけ。恋愛というより、礼愛と呼んだ方がいいかもしれないわ。」

アスライルが言った。

ロピーは心配そうにアスライルを見た。

少しだけアスライルが好きだったが、アスライルが本当に好きな人は、ブルーウォルフかもしれない。

 

山まで来ると、アスライルは護衛に礼をしたので、ロピーとアニータも礼をした。

3人は、透明なロープウェイに乗った。そこには、紫色の椅子があり、座った。

アニータは思わず、乗り出して、景色を見た。

 

城の前まで来ると、アスライルは人間の姿に戻り、嬉しそうに城を見た。

ドアが開き、人間の男が出てきたと思った。

ロピーとアニータは、神妙な顔で見た。

 

城から出てきたのは、蒼い狼で、アスライルは猫の姿に戻った。

「親愛なるブルーウォルフ様。」

アスライルは深々とお辞儀をし、ロピーとアニータも真似をした。

 

「我が友よ。久しぶりだな。」

「はい。またお会いできて、光栄です。」

 

ブルーウォルフは、3人を広間に案内した。

大きなテーブルと椅子があり、ブルーウォルフは膝を組んで座り、3人も座った。

緑色の執事の服を着て、眼鏡をかけた歩く猫が、紅茶を持ってきた。

ブルーウォルフが言った。

「ありがとう。ホワイトワルツ。」

「久しぶりのお客様ですから、地上で手に入れたスリランカの最高級茶葉を使用しました。」

 

「ミルクオアレモン?」

ホワイトワルツは聞き、

「僕はミルク。」

ロピーが答えると、ブルーウォルフが言った。

「まずはストレートで飲んで、味を確かめてからの方がいい。」

ブルーウォルフは、鼻で大きく息を吸って、香りを確認した。

3人も目を閉じて、紅茶の香りを確認し、飲むと、最高にすっきりする味だった。

頭がクリアになり、集中力が高まるような紅茶だ。

「世界一の紅茶だ。」

「こんなに美味しい紅茶は、初めてです。」

ロピーは言い、4人はしばらくの間、紅茶を味わった。

 

ブルーウォルフがアニータに聞いた。

「正式な入口から、definitely far に来るまでに、多くの魂が過ごす場所がある。それは聞いているかな?」

「はい、聞いています。」

「そうか。その場所の名は、Garden of angels。君のママの魂もそこにいる。言ってしまえば、今、僕らがいる世界は天国だ。」

「はい。」

 

アスライルが言った。

「でも、逆の世界もある。地獄の入口は、どこにあるの?」

「それは、教えられない。まずは、人間が死んだ時に、天国か地獄か、自動的に振り分けられる。でも、2018年に、インドネシアで災いが起こった。」

「ああ。2018年は、たくさんの悪い事がありました。」

ロピーが言った。

 

「それで、魂の自動振り分け機が狂ってしまって、Garden of angelsに、悪魔の魂が入り込んだ。」

「そんな。」

3人は、息を飲んだ。

「寿命を全うした人間の魂は、一定期間、休ませる必要がある。それが次の人生のためだ。でも、悪魔の魂が入り込んで、天使の魂たちが、もう出たいと言っている。」

ブルーウォルフは話し続けた。

「そこで、definitely farの土地を広げて、新たなGarden of angelsを造ろうと考えている。」

 

アスライルが聞いた。

「今までのGarden of angels は、どうなるの?」

「天使達の魂の大移動を行った上で、悪魔の魂と戦い、古い場所はもう燃やすしかない。

とても高度な魔法が必要になる。そのために、アニータ。この場所に入ることのできる君に、神聖な物を捧げてもらいたい。」

「神聖な物とは、なんですか?」

「それは、オリンピックの金メダルのような物だ。用意できるか?」

ロピーとアスライルは、心配そうにアニータを見た。

「はい。きっと、用意出来ると思います。」

 

カラカラカラ‥

3人が帰った後、ブルーウォルフの下に、ホワイトワルツが、不思議な模様の描かれた金色ツボを運んできた。

横に置いてある金色の筒で、ブルーウォルフは中を覗く。

そのツボこそが、definitely farから地獄への、もう一つの入口だった。

 

 

数日後、休みの日に、クリスチャンとヨゴは、ダイビングのライセンスの授業のために、海に来た。まずは、プールで練習をしたが、実際に海に入ると、恐さが全然ちがった。

 

2人はバディを組み、海を50メートルほど泳ぎ、ポイントまで来た。

先生が合図をし、グループで順番に海に入った。

クリスチャンとヨゴは目を合わせ、海に潜った。

プールとは、水圧が全然ちがった。波もある。

クリスチャンは音楽をやっているので、念入りに耳抜きをした。

ヨゴは、久しぶりの海だったので、先生に無理だと言おうとしたが、アニータを思い出すと、やめるわけにはいかなかった。

海は、澄み渡っていて、魚がたくさんいた。ヨゴは、勇気を出して、潜ってみてよかったと思った。

ボンベから空気を送られているが、苦しかった。いくつかのテストをして、陸に上がった。

もう一度、海に入る。今度は、海の中を泳いで、魚を見た。

ずっと海の中にいると、心地よく思えてきて、このまま海底で暮らせそうだと感じた。

多分、窒素酔いをしたせいだと思う。

長く泳ぐと、息が上がるように、海中で長く泳ぐことは、苦しいことだった。

頼りになるのは、ボンベの空気だけだ。苦しくなると、陸に上がりたいと思った。

 

2人は、ダイビングのテストに、見事合格した。

クリスチャンは、気分がすっきりしたと話した。ヨゴもそうだったが、少し波酔いして、頭が痛かった。

 

プールに戻って、プールサイドで先生の話を聞いた。

疲労と窒素のせいで、頭がぼんやりしていて、今すぐにプールに飛び込みたい衝動にかられたが、我慢した。

 

服に着替え、クリスチャンと歩いていると、海岸で、アニータが一人で話しているのが見えた。

「アニータ?」

「彼女、一人でしゃべっている。どうしたんだろう?」

クリスチャンが言った。

「アニータは、精霊が見えるんだって。」

「ああ。もしかしたら、彼女は精神病かもな。」

「でも、別世界に行くことがあるって、言っていたんだ。それは、本当かな?」

「わからないけど、どの宗教でも、天国の存在が信じられている。アニータに詳しく、話を聞いてみたら?彼女の見た目は、可愛いし、まともだ。精神病には見えない。」

 

ヨゴは、クリスチャンに手を振り、アニータの所へ歩いた。

「やぁ、アニータ。精霊と話しているのかい?」

「ええ。ルーのこと、見えない?」

「わからない。」

「そう。この前、またdefinitely farへ行ってきたわ。神様のブルーウォルフが、土地を広げるために、オリンピックの金メダルのような物が必要だって、言っていたの。」

「でも、フリーダイビングは、オリンピックの競技じゃない。」

「だから、私、考えてみたの。オリンピックの金メダルの代わりに、世界記録をとるわ。」

「無理をするな。アニータが話している世界が、僕には分からない。だから、あまり、そういうのに、のめり込まないでほしいんだ。」

 

「まだ君と僕は、恋人じゃない。だから正式に、君との交際を申し込みたい。僕と、結婚を前提に、付き合ってもらえないか?」

「私と結婚をしたいですって?私が狂っているって、思わないの?」

「君が狂っていると思っていない。こんなに真剣に、女性の事を考えるのは、初めてなんだ。」

 

「ありがとう。私もずっと、あなたが好きだった。」

「そうか、よかった。」

ヨゴは、アニータの隣に座り、肩を抱いた。

 

しかし、アニータは、ヨゴを離して言った。

「でも、フリーダイビングを続けてもいい?」

「いいよ。でも、絶対に、無理はするな。」

「ありがとう。それから、ヨゴも、スクーバダイビングのライセンスを取れたみたいね。おめでとう。」

「うん。思ったより大変だったけど、やってみたら、楽しかった。」

2人は歩き始めた。

「次の試合、見に来てくれる?」

アニータが聞いた。

「いいよ。」

ヨゴは微笑んだ。

 

新しい恋人が出来るたびに、この人が最後の相手だと見定めるのは、当然のことだ。

男は、少し体に触って、輪郭や肉付きを確かめる。

これで充分だと本能が感じれば、本気の愛に変わっていくが、違うと思えば、いつか別れるための付き合いになる。

ヨゴは、最初から本気だった。

アニータの体を確かめる必要はない。なぜだか分からないが、アニータの事は、なんでも許せる気がしたし、アニータといれば自分も、助かる気がした。

 

アニータは、ダイビングショップで働いたり、スクーバダイビングの指導を行いながら、フリーダイビングの世界大会のために、トレーニングを続けた。

 

大会の前日、アニータは、精霊ルーとのおしゃべりをした。

『こんばんは。』

「こんばんは、ルー。明日は、ついに世界大会よ。Definitely farのために、必ず世界新記録をとるわ。」

『アニータ姫なら、絶対にできます。今日もしっかりトレーニングをしてくださいね。』

ルーは、トレーニングのポーズをしてみせた。

アニータは笑って、おしゃべりを続けた。その姿を、父親が見ていた。

 

アニータがリビングに行くと、新聞を読んでいた父親が、じろりとアニータを見た。

「さっき、誰としゃべっていた?」

「え?」

「アニータ、一人でしゃべっていただろう。」

「あの‥それは‥。」

「お前は、明日の世界大会は無理だ。棄権しろ。」

「そんなことは出来るわけないわ。明日のために、私がどれほどトレーニングを積んできたと思っているの?」

「お前が頑張ったことは分かっている。」

父親が言い、アニータはソファーに座って、泣いた。

「アニータ。ママも、そうやって、いつも一人でしゃべっていた。

ママは精神病だったんだ。」

「ママに、definitely farのこと、聞かなかったの?」

「ママに何も聞いていない。ママが言う事が、パパはよく分からなかった。」

 

「パパは最低よ。」

アニータは言い、部屋に戻った。

 

アニータは、部屋でひとしきり泣いたが、明日は、ママとdefinitely farのために、頑張ることを決めた。

アニータは、鏡に向かって、言った。

「何が何でも、明日の試合には、出るわ。」

 

 

オリンピックには採用されなかった競技だが、だからこそ、人気があった。

スタッフのリーダーのサファイに、女性スタッフのキラが話しかけた。

「フリーダイビングは、なぜ人気があるの?」

「みんな、東京五輪正式採用のスケートボードが嫌いだからさ。スケボーの奴らは、大体犯罪をしている。フリーダイビングの選手は、犯罪なんかしていたら、海に殺される。」

「そう。それなら、なぜ、スケボーが五輪に採用されたの?」

「脅しがあったんだろうな。まともな奴らは、馬鹿笑いに弱いものさ。」

サファイが言うと、キラは笑った。

 

サファイは、スタッフ達の誘導を見た。

 

キラが、前の方へと急ぐ、ヨゴに目をつけた。

キラは、ヨゴに近くにいるふりをして、観客を誘導した。

観客に押され、キラは海に落ちそうになってしまった。

ヨゴが、キラの腕をとった。そして、引き寄せ、聞いた。

「大丈夫かい?」

「ええ、平気よ。」

ヨゴは爽やかに笑い、キラは一目惚れをした。

 

「誰か、知り合いが出るんですか?」

「うん。」

「それって、妹さん?」

「いや、違うよ。僕の恋人なんだ。」

「そう‥。」

予選が始まり、キラはヨゴの近くで、試合を見た。

アニータの番で、ヨゴが歓声を上げたので、すぐにアニータが恋人だと気づいた。

 

キラは、自分の昔の事を思い出した。

貧乏だったキラは、お金を稼ぐために、風俗で働いた。

健康的なアニータは、風俗とは無縁そうだ。

 

キラは、午後の決勝までの間に、自分のバッグの中にあるナイフを見た。

風俗で働いていた時に、一度だけ来てくれたかっこいい男性に、もう一度会えたら、

このナイフを見せて、脅して、うまくいけば、恋人になってもらおうと考えていた。

どうせ、絶望していた。今日、素敵なヨゴを殺し、自分も死ぬ。

そして、一緒にあの世に行って、2人きりになれれば、最高だ。

神を、私が裏切ったんじゃない。

神が、私を裏切ったからだ。ずっと見捨てていた。

 

決勝が始まり、1番手の選手が潜ろうとした時、双眼鏡を持ち、試合経過を見ているヨゴの腰を、キラは刺した。

「ああっ。」

観客はざわめき、キラはすぐに口を抑えられ捕まってしまった。

救急車が到着したのを、少し離れたポイントにいたアニータは見た。

胸が痛むのを感じたが、搬送されるのは、ヨゴだとは信じたくなかった。

 

捕まってしまったキラを、サファイが受け取り、支えた。

「大丈夫か?」

「ごめんなさい‥。」

血だらけの手で、白いタオルを持ったキラは泣いた。

サファイはキラを抱きしめた。

ずっと言えなかったが、キラを心の底から愛していた。

キラは、この瞬間、サファイの胸の内が分かった。

自分がした事が、本当に虚しく、自分の人生が台無しになった事も理解した。

 

警察が来て、サファイは言った。

「この子は、僕の恋人なんだ。どうか、赦してくれ。」

警官は一瞥し、キラをパトカーに乗せた。

サファイがパトカーの前に来て、止めたが、パトカーはサイレンを鳴らし、走り出した。

 

もうすぐ自分の出番になるので、腕立て伏せをするアニータに、スタッフが話しかけた。

「ヨゴって、アニータの彼氏?」

「え‥?そうですけど、どうかしたんですか?」

「たった今、病院に搬送された。女に刺されたらしい。」

「そんな‥。」

アニータは立ち尽くした。

 

「この後の試合、出られそうか?」

スタッフが聞いた。

「はい。」

「そうか。」

アニータは即答し、スタッフは少し残念そうだった。

 

こんな状況なのに、スクワットをしようとする自分の足を少し動かした。

精霊のルーが現れ、アニータはルーを抱き、スタッフをまっすぐに見つめた。

スタッフは、精霊のルーの姿がはっきりと見えた。

アニータは、異世界とのつながりを持つ特別な子だと、スタッフは理解した。

「いよいよ、アニータの番だ。準備はいいか?」

「ええ。もちろん。」

 

アニータは大きく息をして、海に入った。

そこで、目を閉じ、目の前が真っ暗になるのを確認し、深海に向かって、潜っていった。

8メートルほど潜った所で、アニータは目を開ける。

そこには、藍色の世界が待っていて、いるはずのない、ジュゴンやサメの姿が見える。

遠くでは、エイが泳いで、手招きをしているが、無視をしなければならない。

アニータは、まるで、ヨゴの体の中に入っていくかのように、海の中にさらに潜っていった。

『治る?治る?治る?』

アニータの口から、泡が出た。

『治るじゃない。生きるだわ。』

 

アニータの頭は朦朧としたが、見えない手が来て、空気を注入した。

『世界記録まで、あと7メートル。』

声が聞こえた。

『もう死にそうだわ。』

 

『もう一度、息を吸って。』

透明な手が、また空気をいれた。

世界記録から3メートル深く潜ったところで、アニータは光を目指し、海上へと泳いだ。

苦しいはずだが、気持ちがよかった。

体中に空気が充満しているのを感じた。むしろ、海上に出て、本物の空気を吸えば、苦しいのではないかと、不安を覚えるくらいだった。

 

アニータは海上に出た。

思わず笑みがこぼれた。

アニータは世界新記録をとったのだ。

 

ドクターが来て、船の上で、アニータに治療をした。

陸に戻ると、ものすごい歓声と拍手を浴びる事となった。

 

メダルの授与式がある。

3位のプレアは、最愛の男が、犯罪行為をした事を知っていた。

深海を目指し、潜るたびに、その記憶は薄くなる。だから、フリーダイビングを続けてきた。

 

2位のロードは、最愛の男が、別の人と結婚したので、自分が死ぬ所を見せたかった。

自分が死ぬまで、フリーダイビングを続けてやろうと思い、潜ってきた。

 

1位のアニータは、異世界と現実の差に迷いながらも、自分だけが信じている物を信じ続けて、フリーダイビングを続けてきた。

みんながアニータに拍手をした。

 

夜には、アニータは、ヨゴの病院に向かった。

ヨゴは、呆然として、病院のベッドで仰向けになっていた。

ガラガラ

「ヨゴ。私のせいで、こんな事になって、ごめんなさい。」

「アニータのせいじゃない。」

 

「これ‥。私、世界新記録をとったの。」

アニータは金メダルを見せ、ヨゴの頬に当てたので、ヨゴは顔をしかめた。

「じゃあ、これで、君が知っている世界‥、definitely farの土地を広げられるというわけだ。」

「ええ、そうよ。」

 

 

数か月後‥。

美しい海の上を船が走っている。

ヨゴは険しい表情で海を見た。

 

ポイントにつき、ロープを持ったヨゴは荒く息をして、水中に潜って行った。

これはフリーダイビングだ。フリーダイビングは美しい。

 

『Definitely far』

 

しかし、ヨゴは、すぐに口から泡を吐いた。

刺された所が痛んだのだ。

 

海の中で、気を失ったヨゴの前に、神のような男が現れた。

『辛いか?』

「ああ、辛いさ。でも、アニータとは別れられない。彼女は僕の最愛の人だ。」

『そうか。ならば、生きるのだ。』

見えない手が、ヨゴに空気をいれた。

 

アニータとヨゴは、ジャズの演奏を聴くために、バーに来た。

ヨゴはアニータに言った。

「ごめん、俺、やっぱり、フリーダイビングを止める。」

「無理をしない方がいいわ。」

「ありがとう。」

ヨゴは、アニータの手を握った。

 

ヨゴは、自分の部屋の机の前で、うなだれた。

電子ピアノを前にしても、ジャズの書き方が分からない。

 

音が鳴るたびに、恐いと思うくらいだった。

 

でもいつか、僕は、美しい物を捧げたい。我が兄弟の祖国、インドネシアのために。

 

 

Definitely farについて、私が書く事が出来る話は、ここまでになる。

 

【深海-definitely far-】

【Blackout】

【Swerve memory】

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

最新記事

December 7, 2019

November 30, 2019

November 29, 2019

November 29, 2019

November 25, 2019

Please reload

アーカイブ
Please reload

タグから検索
ソーシャルメディア