戦友[回天]

October 13, 2019

戦友[回天]  /参考資料、回天(ザメディアジョン)

 

 

1931年(昭和6年)の満州事変以来、中国大陸をめぐって、日米関係は急速に悪化した。

1937年(昭和12年)、日中戦争が始まると、7月26日、アメリカは、日米通商航海条約の廃棄を通告した。

1940年(昭和15年)、9月25日、フランスの敗北を受けて、25000人の日本軍が北部フランス領インドシナに進駐、その5日後には、日独伊三国同盟が調印され、アメリカの対日感情は一気に悪化した。

その後、日本は関係改善を図るために、様々なルートでアメリカとの交渉にあたったが、

1941年(昭和16年)7月28日、アメリカは、在米日本資産の凍結、石油の対日全面禁輸を実施した。イギリス、オランダもこれに追随し、日本への経済封鎖は深刻化した。

その後、アメリカは、「ハル・ノート」を通告。それは、日本を満州事変以前の状態に戻すというものであり、当時の日本には、受け入れられないものであった。

日本政府は、この要求を拒み、1941年(昭和16年)12月、日米開戦の火蓋が切って落とされたのである。

 

戦局は悪化し、日本にとって残された道は、「特攻」ただ一つであった。

海軍創設以来、認められることのなかった「必死必殺」の兵器として生まれた「回天」。

世界に誇る「九三式魚雷」を改造した「目のある魚雷」での特攻作戦である。

 

一度、潜水艦を離れると、停止、再起動は不可能な回天、敵艦に突入し得なかった時には、幾度も浮上して、標的を追った。

 

戦死した搭乗員89名、殉職者15名、自決者2名。

回天搭載潜水艦と共に散った同乗整備員は35名、潜水艦乗組員は、812名にあたる。

 

彼らの多くは、極秘の特攻兵器「回天」で征くことを心に秘めたまま、家族や愛する人に最後の別れを告げた。

 

回天の戦果は、未だ多くが確認し得ない。

戦いの結末は、突入を果たした全ての若者たちが知っている。

 

 

 

黒木博司は、1921年(大正10年)9月11日に、岐阜県益田群下呂市に生まれた。

父は街医者で、とても裕福な家庭だった。

中学校を卒業した博司に、父が聞いた。

「お前も、医者になるんだか?」

「ならない。」

「じゃあ、何になるだ。」

「知らね。考えたことない。」

「それじゃ、あかんぜよ!」

「親父には、関係ないぜよ。」

博司は敬礼の真似をして、おどけてみせた。

 

家で、飛行機の模型を作る博司に、母が声をかけた。

「博司、ご近所の徳子ちゃんが結婚するって。」

「ええ、誰とじゃ!」

「さぁ、詳しくは聞いてないけど、隣町の人みたい。」

「俺は何も聞いてないだぞ!」

博司は涙目になったので、母は少し笑って、博司を見つめた。

本当は、徳子の家はあまり良い家ではないので、博司の相手ではないが、博司には分からなかった。

こんなに辛い時、泳ぎまくるための海がそばにあれば‥。

その事がきっかけとなり、博司は、海軍機関学校へ入学した。

 

1941年(昭和16年)11月15日に卒業すると、当時旧式だった戦艦「山城」に着任し、同年12月8日に、太平洋戦争の開戦を迎える。

1942年(昭和17年)7月15日に海軍潜水学校の普通科学生として採用され、同年12月に特殊潜航艇「甲標的」講習員となる。

 

 

仁科関夫は、1932年(大正12年)4月10日に滋賀県大津市で生まれる。

1942年(昭和17年)11月14日に、海軍兵学校を優秀な成績で卒業した。

当時の海軍兵学校校長は、井上成美(いのうえしげよし)中将。成美はのちに、塚原二四三と共に、日本海軍で最後に大将に昇進した。

 

関夫は、11月15日附で少尉候補生、長門型戦艦1番館「長門」に乗組み、乗艦実習を開始する。

 

1943年(昭和18年)1月15日附で、関夫は、瑞宝型航空母艦1番艦「瑞鳳」配属。

瑞鳳は、前年10月26日の南太平洋海戦で損傷し、佐世保海軍工廠で修理され、トラック泊地に進出し、瑞鳳航空隊は3月3日のビスマルク海海戦に参加した。

さらに実習を重ね、6月1日附で、海軍少尉任官、海軍潜水学校の普通科学生として採用される。10月15日附で、第一艦隊司令部付兼呉海軍工廠附。

特殊潜航艇「甲標的」の講習員として着任した。

 

ここで、博司と関夫は出会うことになる。関夫は、1年先輩の博司の部屋で、寝起きを共にすることになったのだ。

「あの‥、こんにちは。僕、今日から同室の‥仁科関夫です。」

「ああ‥。」

お互い、少し、緊張していた。

博司が言った。

「そこに荷物を置き、右半分自由にしろ。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

博司は、夜遅くまで、考え事をしていた。まだ21才だというのに、少し前の自分の事も、遠い出来事のように感じて、大人びた目で見つめるようになっていた。

 

「父ちゃん、俺‥、今日、人の殺し方を習ったんだぞ。本当は、俺だって、医者になって人の命を助けたかったのにさ。」

泣きながら空電話した事を思い出す。

 

博司はぼんやりとして、少しだけ笑った。これで田舎に帰ってもどうにもならない。

「どうにかせにゃいかん。」

博司はつぶやいた。

「へ?」

布団をしいていた関夫は、博司に聞き返した。

「いや、なんでもない。拙者の事は、気にするな。」

博司は言った。

 

戦局が悪化する中、何か画期的な新兵器、新戦法はないかと模索していた。

博司は、絵を描いた。

「博司さん、何してるんですか?」

「いや、君は関わらんでいいよ。命を捨てる覚悟が必要になる。」

「もちろん、ついてます。それは。」

「へぇ~、すごいな。」

 

「敵を一人で千人殺すには、魚雷しかないんだよ。」

「一人で千人ですか?」

「うん。人殺しよりになるんだぜ。」

「はい、それは分かってます。でも、敵は人間じゃありませんから。」

「もちろんだ。やつらは鬼だ。日本人を殺す鬼でしかない。」

博司はこういう話を始めた時、自分の瞳孔が開き、立派な日本兵になれた気がした。

 

食事の席でも、2人はこういう話をした。2人の瞳孔は開き、博司は敵への攻撃についての話をやめない。

博司が赤い顔で殺しの話の最中に、関夫の頭の中に、好きな女の入浴の光景が浮かんでしまって、ついに関夫は赤い顔で吹き出した。

博司は話をやめ、関夫を見た。

「ん?どうしたんや、突然。」

「いや、ちょっと別の事で‥。」

「はぁぁ‥。」

「ちょっと、思い出したんですよ。昔、知り合いだった人の事を。」

「その人、女か?」

「はい。」

「じゃあ、それって‥、惚れてるってことだろう?ちがうんか?」

「はい、そうです。」

「会わんでいいの?」

「いや、もういいです。自分は、ここで人生を終える覚悟ができてますから。」

関夫は言い、顔を真顔にして去った。

 

2人は、軍港の兵器庫に何百本と眠っていた九三式魚雷に目を付けた。

世界に誇る魚雷だったが、敵がレーダーを活用し始めたのと、航空機の発達により、出番がなくなっていた。

2人は九三式魚雷を改造して、人間魚雷(回天の原型)を試作する。

兵器に採用してもらうために設計図と血書で、博司が一人で中央に請願を行った。

海軍軍務局第一課の吉松田守中佐と、軍令部作戦課潜水艦部員藤森康男がそれを受けた。

12月28日、藤森から、永野修身軍令部総長へ、この人間魚雷が上申されるが、

「それはいかんな。」と明言されて、却下された。

 

翌年の2月、博司は再度上京して、吉松中佐に採用を懇願する。博司は、この時、全面血書の請願書を提出した。

そして、2月17日。敵の大機動部隊による、日本海軍最大の基地トラック島への攻撃で、日本海軍は前進根拠地としての機能を喪失した。

2月26日、吉松中佐は山本善雄大佐と協議し、呉海軍工廠魚雷実験部に対して、博司と関夫が考案した人間魚雷の試作を命じた。

マル6兵器と仮称され、魚雷設計の権威であった渡辺清水技術大佐のもと、試作に着手した。

 

最初は、脱出装置が条件だった。日本海軍では、東郷元帥の遺訓を受けて、創設以来、隊員が生還する道のない「必死」の作戦や兵器は認めないとされていたからである。

 

しかし、脱出装置の設計は遅々として進まず、博司と関夫は、

「脱出装置の組み込みは回天の性能を著しく低下させ、実戦部隊が要求する兵器とは程遠いものとなる。」と真っ向から反対した。

 

関夫は、「脱出装置をつけるならば、お付けになって結構です。その代わり、私たちは出撃する時、そいつを基地に置いて出て行きますから。」とキッパリ言い切った。

結局、彼らの熱意により、脱出装置のないまま、1944年(昭和19年)7月下旬に、有人試験航走を実施することとなった。

博司の発案により、「回天」と名付けられた。

天を回らし、戦局を逆転させるという意味である。

 

基地は4か所できた。

花形の男たちは、みんな大津島回天基地に回されてきた。

花形といっても、みんな死にゆく男たちである。

「よろしくお願いいたします!!」

上別府宣紀が大声で挨拶した。

博司は、強き男たちに目を細めた。

自分が一番先に死んでやると決めた。

 

1944年(昭和19年)9月6日、大津島回天基地での訓練2日目の空は爽やかに晴れ渡っていた。しかし、次第に風が吹き始め、朝方は穏やかだった海面に白波が立ち始めていた。

午前10時、上別府大尉が同乗し、関夫が操縦する3号機が発進した。湾口では波が高く、潜入時には飛沫を高く上げていた。

午後になると風はますます強くなり、白波ばかりか、うねりも大きくなった。

危険だと判断した指揮官の板倉光馬少佐は、訓練の中止を決断した。

「大丈夫です!」博司は大佐につめよったが、関夫がなだめた。

「今日は止めた方がいいでしょう。私のときも湾口で波に叩かれ、危なかった。」

 

「天候が悪いからといって、敵は待ってはくれない。」

博司は一歩も飛行としない。

 

博司は後ろを向き、頭をかいた。そして、腕組みをして少し困り顔で考えた。

浮かんでは消していた考えだ。今日の天気だと、うまくいく。

 

同乗する樋口孝大尉が、「やらせてください!」と懇願し、博司と孝は訓練を決行することとなった。

孝が操縦する。博司は孝の操縦を見守った。回天は通常1人乗りなので、とても狭かったことだろう。

予想どおり、孝は操縦をミスした。博司は目を細め、一部始終を見守った。

 

「ああ‥。」

赤い顔で孝は顔をしかめた。

「ダメだ‥。」

 

「大丈夫。うまくいくよ。」

「でも、壊れちゃってる。動かないじゃないですか。」

「あ、ホントだ。全然ダメだ。」

「クソ‥。ここまでかよ。」

 

「ここ敵陣じゃないですよね。」

「助けに来てくれるって。」

 

「すいません、自分のせいで。」

「気にせんでいい。死ぬ覚悟はついているから。」

 

18時12分。

酸素が持つのは12時間。

2人は死を覚悟し、事故報告ノートや遺書を書き残した。

 

「なんとか、見つけてもらえんかな?」

博司は回天を内側から叩いたりした。

「あああ!」

「どうした?大丈夫か?」

「すみません。自分のせいで。」

「すみませんはいいよ。回天を考えたのは、俺だから。」

博司は言い、回天の壁の向こう側を見つめた。

『これが俺への罰かよ‥。』

『そうじゃ。お前は、これから何人も人を殺すんだからのぉ。敵だけでなく、味方もじゃ。』

『そうだな。味方の家族から恨まれるよりも、死んだ方がましだな。』

『ああ。だから、俺の力で、お前を楽にいかせてやる。』

 

 

朦朧とし、顔をしかめる孝に、博司が聞いた。

「辞世書く?」

「え?いや、いいです。」

「そう、俺は書くよ。」

 

博司は辞世を考えた。

「男子やも 我が事ならず 朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

「国を思ひ 死ぬに死なれぬ 益良雄が 友々よびつつ死してゆくらん」

 

 

 

朝4時05分。2人は呼吸困難になる。

「死せんとす 益良男子のかなしみは 留め譲らん魂の空しき」

 

4時45分、2人は君が代を口ずさんだ。

これで、天国に行ける気がした。

君が代こそ、立派な軍人たちが全員、歌ってきた歌なのだ。

君が代は最高の国歌だと思う。

 

 

2人は爽快な気分になり、目を閉じた。

 

6時、まだ2人は生きていた。

孝は最後の力をふりしぼり、壁に「大日本帝国万才」と記した。

 

孝はその後、力つきた。

 

博司はまだ生きていた。

 

「天皇を思ふ赤子の真心に など父母を思はざるべき

父を思ひ母を思ひて 猶更に 国を思ふは日の本の道

人など誰かかりそめに 命すてんと望まんや

小塚が原に散る露の 止むに止まれぬ大和魂」

 

 

おそらく、博司は7時くらいまで生きていた。

空気の中にいる、透明人間の手をつかんだ。博司は目を閉じた。

博司は、透明人間を信じて、ずっと愛していた。

だから、透明人間は博司の亡骸をきれいな形に戻した。

孝の顔の涙も拭いた。

 

 

「博司さーん!!」

船に乗り、関夫たちが探しに来た。

「博司さーん!!」

上別府や、今西、福田、渡辺も大声で呼んだ。

 

「ああ、気泡だ。」

今西が気づき、関夫が目を見開いた。

「まだ生きているかもしれない。」

 

みんなで、回天の扉を開けた。

「博司さん!!」

「ああ、こりゃいかん。」

司令官が言い、回天の中に入り、博司と孝の亡骸を持ち上げた。

 

「博司さん‥。」「孝!孝!」

みんなで呼んだが、もう息はなかった。

 

回天に入った司令官は、涙と共に息を吐いた。

2人の遺書を見たのだ。

 

2人の葬儀には、家族もかけつけた。

博司のお父さんは立派な男だったので、みんなしっかりと敬礼をした。

孝のお母さんは弱弱しく、今にも倒れそうだった。

 

若き軍人たちは、初めて、人が燃やされる所を見た。

 

次の日も基地では、回天についての話合いがあった。

「どうする?もうこの作戦はやめるか?」

隊長が聞いた。

 

「もうやりたくないです‥。」

消え入りそうな声で言う兵士がいたが、関夫がさえぎった。

「いや、やります。しっかりと訓練を続け、回天で勝たなければ、博司さんの無念がはらせません。」

「僕も、やりたいです。回天で死のうと思います。」

福田が言った。

上別府は、『信じられない。』という顔で福田を見た。

上別府は、本当は死にたくなかったのだ。上別府は、役者がやりたかった。

 

「わかった。」

隊長は安堵の表情で、回天作戦の続行を決めた。

 

上別府は、もうこんな戦争は嫌だった。国家総動員法で仕方ないので兵士になったのは半分で、もう半分は自分には出来る事が何もなかったので、兵士になった。

よくよく考えて、やっぱりできることが何もないので、国に命を懸ける事にした。

それはそれで、すごい偉人に近づけるかもしれないと思った。

でも、23才になった自分の顔を見ると、ハンサムだった。

17才の頃に、女の子から誘われて、自分がもう一歩踏み出せば、もっといろいろな体験ができたのかもしれないが、自分は何もしなかった。

その時の事を、何度も振り返って、練習したりした。

女のために何かできるのであれば、兵士として死にゆく事以外にある気がする。

きっとそれは役者だ。

舞台の上で、女を抱く。それこそが、俺が出来る事だ。

 

でも、放心した関夫の顔を見ると、何か言わずにはいられなかった。

上別府は敬礼をし、大きな声で言った。

「黒木博司さんの最後、見事でござんした!!自分も後に続きたいと思います!!」

 

関夫は立ち尽くした。

上別府は去った。こんな時、良い男になったなと実感して、自分が良い袴を着ている気分になる。

 

夜は、食事の後、みんなが少しの間、談笑する。

その日、月が綺麗だったので、上別府は月を見て、お願い事をした。

『お月さん、もしも、役者になれるのなら、私、女役でもいいのですよ。』

そして、上別府は、いつも空想していた劇の女役になりきり、台詞を心の中で言った。

 

『でも、もしも死ぬ事になったら、この綺麗な顔に戻してね。』

上別府は頬をさわった。

 

「どうした?」

そこに福田が来た。

「いや、なんでもない。」

「誰と話していた?女か?」

「ちがう。大体、女の人なんて、ここに来られるわけない。」

「そうかな‥。」

福田は顔をしかめた。

この前、布団の中に、女が来たのだ。

 

もちろん、それは、幻想である。

でも、その幻想は、兵士の支えになったのかもしれない。

 

布団の中で、小さな人形を抱いて寝る兵士もいた。きっと、好きな人だと思い込んだのかもしれない。

 

厳しい訓練の中、若い乙女たちが兵士に会いに来た。

兵士たちは乙女たちとお話をして、少し心を軽くした。

 

「あなた、なんて名前?」

「自分は、福田斉といいます。」

「そうなんだ。変わった名前ですね!」

「ん?」

斉は、乙女を上からのぞきこんで聞いた。

「あれ、前にどこかで会いました?」

「会ってないわ。」

乙女は笑った。

 

斉は乙女の姿を、遠くから腕組みして眺めた。

『どうやって、布団の中まで来たのだろう?』

 

夕方からまた、厳しい訓練があるというのに、自分の頭の中に浮かんだ可愛らしい思い出に、今すぐに手を伸ばして、ここから逃げたい気分になった。

隊長から厳しい叱責を受けた時、みんなが凍り付いて自分を見る。

その時の対処法が今まで分からなかった。

頭の中では、涙を流しながら、銃口をこめかみに当ててきた。

でも、今日ようやくわかった。

乙女との可愛らしい思い出を浮かべて、ぼんやりとしていればいいのだ。

 

「幸ちゃん!」

一人の乙女が渡辺幸三に走ってきた。

「夏子!」

幸三は、夏子を受け止め、抱きしめた。

 

「ひゅー。」

熱烈に抱き合う2人を見て、兵士たちが歓声を上げた。

 

「姫‥。」

上別府の隣にいた関夫は、何かを思い出し、顔を硬直させ、基地に戻った。

「どうしたんだろう‥。」

上別府は下を向いた。

 

自分は23才だというのに、女を抱き寄せたこともなければ、抱きしめたこともない。

もっと深く考えれば、女を呼んだこともなかった。

「母ちゃん!」としか呼んだことしかない気がする。

 

時々慰めの利かない感情に襲われて、涙がこぼれてしまう。

そんな時、みんなが心配して自分を見る。

しかし、それよりも恐ろしく感じるのは、情熱に対して理性がきかなくなる時だ。

教官の話を聞きながら、自分は情熱を急き立てているのに、誰もこちらを見ないのは奇妙だった。

 

あいにくだが、自分は、実際には誰の事も抱かずに死ぬだろう。

死の直前にべそをかけば、許してもらえるだろうか?

 

乙女に会った兵士たちは、少し力が抜けてしまった。

みんなの前で、乙女を抱きしめた幸三は、満足したように凛としている。

 

上別府は思わず笑って、幸三を小突いてしまった。

 

夕方からの訓練では、みんな少しずつミスをした。

それでも、幸三は、回天で潜って、上手に戻ってきた。

教官は頭をかいた。

 

夜、誰かが持ってきた卑猥な画をふざけて回し読みをする。

関夫は少しはっとして見た後、隣にすぐに渡した。

博司がそれを見て、どうしたか考えると、力がぬけた。

それと同じ事を自分もする時、博司がもういない事に安心した。

 

そうやって力が抜けてしまった時に、すぐに頭を戦闘モードに戻そうとするが、なかなかうまくいかなかった。

爆撃音を聞くか、訓練をして、海水が鼻に入ったりしないと無理だった。

 

斉は毎晩、何度も、夜に来てくれた乙女を想像した。そして、未来の大日本帝国がどうなるのかも分かり、涙を流した。

「俺‥、あの子の息子になんて、生まれねぇよ。」

『大丈夫よ、あの子も一緒に死んでしまう。安心しなさい。』

どこからともなくする女神の声に安堵して、斉は眠りについた。

 

毎日が重い気分だったので、次の日には乙女と会った時のときめきを半分なくしていた。

「かっ飛ばしたいぜ。」

斉はあきらめたかのようにつぶやいた。それは死を意味していたが、

「野球?」

関夫が聞いた。

「あー、うん。そうだよ。」

「野球なら、俺もやりたい。ここじゃ、グラウンドがないから無理だけど。」

そう言って、関夫はハッとしたように口を抑えた。

斉や大西は気まずそうにした。

 

「一回転したらね。」

幸三が小さな声でつぶやくと、教官が入ってきた。

朝食は終了だ。

 

今日の訓練も厳しかった。

教官の神本さんは、26才で、自分達より少しだけお兄さんだった。

とても厳しく叱責し、時には殴ることもある。

だから、神本さんがいない所で、神本さんを怖いと言う事さえ、恐ろしい事だった。

 

でも、上別府は、教官に対する考えが少しだけ違っていた。

『こんなに人が死んでいるのに、なぜ、兵士がまだいるのだろう?きっと、死んでも、またすぐに戻ってくるんだ。神本さんは、どこで戦死し、いつ戻ってきたのだろう?』

 

「神本教官!」

「なんだ。」

神本教官は、腕組みをして、上別府をにらみつけた。

 

「バルチック海戦知ってますか?」

上別府は、神本教官の答えによっては、「あの‥僕、バルチック海戦の戦法を詳しく調べていて‥。」と続けるつもりだった。

 

「バルチック?」

神本教官は、目を開いて、上別府を見た。

「はい。東郷元帥のバルチック海戦です。」

「ああ。知っているよ。俺もあの場所に行ってきたんだよ。」

「えっ‥。」

上別府は、胸をうたれて、言葉を失った。

 

「神本教官!」

別の兵士が神本教官を呼び、神本教官は行ってしまった。

 

神本教官は少しだけ嬉しかった。もしかしたら、上別府も今の自分になる前に、どこかで戦を経験してきたのかなと思った。

 

夕食の時、斉は切なく思いながら、口に箸を運んでいた。

神本教官や幸三が上手にできることを、自分はあまりできないのだ。

他人が積んできた過去に対して、半信半疑の目を向けてしまう。

 

 

「俺、回天やだ!命を粗末にするものだ!」

関夫は今日、別の兵士にそう言われて、空手チョップをされた。

食事中、その事を考えて、暗くなっていた。

黒木さんの事を思い出すと、涙がこみ上げてきてしまう。

でも、ここで泣いたら、負けだった。

 

「それにしても、神本教官って怖いよな?」

幸三が、関夫に話しかけた。

「ああ、うん。」

関夫は、笑みがこぼれた。幸三の瞳孔は開いている。

幸三は、このまま、敵の命をつぶす話ができればなぁと思っていた。

日頃の疲れがとれそうだ。

 

「あのさ‥。」

幸三が、敵の命をつぶす話を始めようとした時、別のテーブルで、おかしな踊りを披露する兵士が現れたので、考えは止まった。

そして、次の瞬間には、幸三も大声ではやしたて、笑っていた。

 

夜、上別府は、ナオちゃんという妹からもらった絵本を黙読する。

そんな時、少しだけ大人になった気がした。

他の兵士は、指相撲をしたり、あやとりをしている。

 

「何それ?」

「ナオちゃんからもらった御本です。」

「ナオちゃん?それ女?」

「はい。僕の妹ですよ。」

 

 

『ナオチャンゲンキデスカ、アイカワラズゴホンヲヨンダリ、ジヲカイタリシテマスカ、ダイブオジョウズニナッタデショウネ。

ミンナマイニチガッコウニイッテシマウノデサビシクアリマセンカ。ナオチャンモモウジキニガッコウデスネ。

コノアイダ、ゴホンヲアリガトウ。マイニチヨロコンデヨンデイマス。

トキドキナガイオテガミヲクダサイ。オネエサンヤオトウサン、オカアサンソレカラオバアサンニモヨロシク、ダンダンサムクナリマスカラネネビエヲシナイヨウニ。

デハサヨウナラ ヨシノリ』

 

次の日の訓練も厳しかった。時々白い飛沫の中に、博司さんが腕組みをして立っている気がして、皆が呆然とした。

関夫はこもる熱さから、ついイラ立ってしまい、この間、自分に空手チョップをした兵士につい当たってしまった。

「お前、ちゃんとやらないなら、もう帰っていいんだぞ。」

 

しかし、言われた兵士は何も言わなかった。歯を食いしばって訓練を頑張った。

訓練の合間、

『関夫さん、こわすぎるやろぉ‥。』

その兵士が関夫の悪口を言う声が聞こえたが、それは飛沫の向こうから聞こえたもので、空耳だった。

 

兵士は何も言わなかった。帽子をとり、涙と汗をぬぐった。ずっと洗濯していないので、汚れている。上別府のも同じだった。

あんまり意識せず、何度も同じ場所で、汗や涙やつばを拭いているので、黒かった。

幸三の上着は妙に綺麗だ。

「これ、新しいの?」

上別府は思わず聞いてしまった。

 

「ううん、ちがう。‥さわるな!」

幸三は、上別府が自分の上着をつかんでいるので、腕をよけた。

 

疲れている時の上別府は子供のようになってしまう。

「幸三って病気みたい。体から何の水も出ないんだね。」

上別府は子供がだだをこねるように、泣いてしまった。

 

幸三は上別府を一瞥して去った。

 

でも、夕食の前に、洗濯の合図がかかった。

上別府が友人と便所に行くと、幸三が用を足していた。

上別府は幸三がもう大人だと感じて、少しむっとした。

神本教官のように、別の戦地に行ってきた男だと思っても、納得いかなかった。

 

『じゃあ、なんで、俺より年下なんだよ。』

上別府も用を足した。

 

 

関夫に、今日嫌味を言われた兵士は、誰もいない押し入れに向かって、顔をこすり、こみあげる涙を拭いた。本当は死ぬのは怖くなかった。これから、大日本帝国がどうなるかが怖かったので、みんなと一緒にいたいだけだった。

でも、もう一度、家族と過ごして、一緒に鍋を囲めるのなら、どんなにいいか。

しかし、今、自分が戻っても、母が非国民だと罵られて、いじめられるだけだ。

 

「ちきしょう!!」

兵士は、ハチマキを投げた。

関夫の命に対する考えを調べたかった。

関夫の特攻服がかけられていたので、本当はそれを手で裂いてしまいたかった。でも、そんな事をすれば、クズになる。

関夫の特攻服を蹴ろうと足を上げたが、蹴るのをやめた。

関夫のお母さんを感じたのだ。

どこかに刺しゅうがあるのではないか?兵士は、特攻服をしげしげと眺めた。

 

 

関夫は、自分の心の奥に、まだほんの子供が存在している事に気づいていた。

『ばかやろう、お前みたいなゴミはな、アメリカの鬼より最低なカスだ。』

心の遠い場所で、今日の兵士を罵っている。

『クズ野郎、クズ野郎!今西くんだって、今に殺してやるからな。斉も、幸三も、上別府も、神本教官も‥、俺がこの手でみんな殺めてやる!

俺は‥ア子ちゃんだけ生き残れば、それでいいんだから。そうしたら、俺は、日本で2人だけで暮らすんだ。』

関夫は誰もいない部屋で、自分が太古の神になり、霧深い大日本帝国で2人きりで暮らす空想をし、しばらくの間、戦争を忘れた。

 

何度か、幸三に夏子が会いに来た。

「夏子、会いに来てくれたんだ。」

幸三は切ない気分になり、夏子の両手をとり、見つめた。

冷やかしてニヤニヤする兵士を見て、嫌な気分になり、一粒の涙がこぼれたので、指でぬぐった。

 

幸三は腰に両手を置き、考えた。夏子は東京にいるはずなのに、なぜ自分に会いにくるのだろう?

ゴミ箱をじっと眺める幸三を見て、斉たちは心配した。

本当の運命の人なら、会いに来るのではなくて、いつもそばにいるみたいに霊として一緒にいてくれるはずだ。それか、布団の中に来る。

 

斉の運命の乙女、花乃は、基地の近くの町に住んでいた。家はあるが、戦争でいろいろな物を出してしまって、お金はなかった。家の中から青空を眺め、斉を想った。

 

訓練の休憩中、神本教官が幸三と談笑して、言った。

「もしよければ、夏子さんと結婚すればどう?」

「いや‥僕、そんなに、夏子のこと好きじゃないんです。」

 

「えぇ?この前、あんなに抱き合っていたのに好きじゃないなんて、おかしいよ。」

他の兵士が口をはさんだ。

「いや‥もうそうじゃないから。」

「ええ?それは、どういうことなんですか?」

 

「まあ、いいから。」

神本教官は笑った。

 

「じゃあ、どうする?」

関夫が来て、幸三に聞いた。

「うーん‥、とりあえず、東京に戻るように伝える。それに、もう長くないから。僕の人生は。」

「ああ、それは自分も同じです。」

 

 

ある日、教官が、訓練の休みを伝えた。

その日は曇りだったが、暖かったので、みんなで海で泳ぐことにした。

 

毎日のように、「命を捨てる覚悟はあるか?」と、怒鳴っている関夫は、フンドシ姿になり、1番先に走り出した。

服を脱ぎながら、斉が幸三に言った。

「関夫くんって、えらいよな。」

「ええ?あれの何がえらいの?」

「いや‥いつも、威張っているのにさ。遊ぶ時は、はしゃぐなんて。」

「まぁ、いいんじゃないの?」

幸三は困り笑いで、白いTシャツを脱いだ。

 

上別府はどうしているかなと2人が探すと、他の友達と貝を掘っていた。

 

関夫を見ると、怒ったように、他の兵士に海水をかけていた。

すると、その兵士が海水をかけ返した。関夫は笑っている。

 

「俺、泳いでくる。」

幸三は、海に入り、言った。

「流されるな!」

斉は言った。

 

斉は、すぐに仲間と合流した。

幸三のように独りで行動する事は苦手だった。

 

斉は仲間とじゃれあって、ふざけている。

犬かきをして、仲間を笑わせてみせた。

 

幸三は沖まで泳いでみようと思った。

海で泳いでいると自由な気分になってくる。これで流されて死ねば、自決ということになるんだろうか?

『ちがうよ。』

「いや、そうだな。」

『ちがうよ。』

「いや、これで死ねば、俺は自決ということになる。」

『ちがう。君は間違っている。』

波は、幸三を戻そうとした。

「はいはい、ちがいますね。分かりました。」

幸三は向きを変え、海を睨むと、波は幸三に手を振るように揺れた。

 

 

「あれー、幸三が戻ってこないぜ。」

斉が目を細めた。自分の視力が弱すぎる事には気づいていた。

どうせもうすぐ死ぬから関係ないが、どうせなら、敵をぶっ潰して、戦果を挙げて死にたかった。

 

「幸三?どこに行っているの?」

「あいつ、一人で泳いでいるんだよ。」

 

「こうぞーう!!」

兵士が幸三を大声で呼んだ。

 

なんとなく泳いでいる幸三の姿は見えた。

 

「あいつ、クソだな。」

斉が言った。

「へ?」

 

「クソしてくる。」

斉は、海岸に上がって行った。

 

上別府は23才になって、フンドシ姿になるのは、少し恥ずかしく感じた。

でも、やっぱり泳ぎたいと立ち上がった時、もうみんなが海から上がる時間だった。

なんとなく頭に血がのぼって、泣きそうになった。

自分にもう少し自信があって、あと3才若くて、海で泳ぎまくれたらどんなにいいか。

こんな所で貝拾いをして、落ちこぼれの相手をしていてもしょうがない。

 

しかし、自分がみっともない青年ではない事は、知っていた。

この場所で、いろいろな種類の自分の涙の味見をして、完全燃焼してきた。

おそらく、自分はこのまま死ぬ事になると思う。だけど、もしも生き延びて、どんなに落ちぶれても、みっともない人間にはならないだろう。それは、完全燃焼したおかげだ。

 

自分は多少狂っていると、上別府は思った。

「二十歳くらいの頃は、せいがあるからな。」と昔、親父が言った時、ナオちゃんの前だったので、親父を箸で小突いた。

「そのせいとやらは、いつ消えるのですか?」と、むやみやたらにハチマキをつけながら、ここにはいない親父に、何度か聞いた。

23才になっても、せいは消えていない。むしろその逆である。それはどんどん大きくなっている。

最近は、炎の中で裸の女に抱かれるのや、血なまぐさい女の足をなめる想像をしてしまう。

『僕は狂っているんですよ。ほら、前に言ったでしょう?僕は、女泣かせの中尉殿だから、気をつけてください。』

 

『というか、気をつかってください。』

上別府は、寝る前にナオちゃんの手紙を読んで、涙が出てしまい、顔に手紙を当てた。

「早くお手紙くれないかな‥。」

 

苦しみが止まらない涙としてこぼれてしまった時、誰も自分に声をかけないのが、この世界の優しい所だ。

 

幸三は、空き時間に、夏子に「もう会えない」と伝える練習をした。

『幸ちゃん、私と永遠に一緒にいて。私をもっと愛して‥。』

『ごめん、夏子。俺もそうしたいけど、もう特攻で敵を殺し、俺も死なないといけないんだ。』

そんな妄想をめぐらせて、幸三は赤い顔で、もごもごと口を動かした。

 

他の兵士たちが、嫌な顔で幸三を見た。

 

幸三は、常にそんな妄想をめぐらせて、厳しい訓練を耐えた。

でも、実際に夏子が現れた時、幸三は妄想通りにできなかった。

ただ単に、夏子に嫌な顔をさせて終わってしまった。

 

だから、幸三は、その時の様子を使って、またたくさんの妄想をめぐらせてしまった。

 

赤い顔で、幸三はまた口をもごもごとさせ、周りの兵士たちは嫌な顔をした。

「あいつなんだろう‥。」

「気色悪い。」

兵士たちは幸三の嬉しそうな顔を見て、本当の事を問いたかった。

もうすぐ死ぬ事になるので、天国についてだ。でも、以前、幸三に天国について尋ねたところ、

「何も知らない。死んだら、泡となって消えるだけだ。」

と、涙を隠すように幸三に言われてしまったのだ。

その時の幸三は、黒木さんが炎に包まれ、黒木さんの残骸の黒いすすが、自分の腕に舞ってきたのを思い出した。

黒木さんには申し訳ないけど、炎に焼かれて灰になるのは嫌だった。

泡となって消えられるのならよいと思って、回天の特攻に志願したのは理由の一つである。

 

兵士達は、死期が迫ってきていた。できれば、クリスマスまでは生きたいと、全員、腹の底で願った。

 

戦争というのは特別な出来事で、起きてから眠るまで、1日の出来事を丸ごと全て、兵士たちが覚えているわけではなかった。

訓練の事が、すっぽり抜けてしまっている事もある。

食事の出来事を覚えていない時は、妙に切なく、腹はいっぱいだが、気持ちが悪い感じがした。

幸三が腹をさすり、斉がたずねた。

「大丈夫か?」

「うん。ちょっと気分がすぐれない。」

「便所行ってくれば?」

斉は神妙な顔で言った。

 

斉は、大津島回天基地の特攻兵の中で、最も記憶が抜けない兵士だった。

夜、便所に行った時、『回天で死ぬくらいなら、自決します。』といった血で書いた字があり、斉が拭いたのだ。

それは、ずっと黙っていた。でも、記憶が抜けない斉には、特別な霊がついた。黒猫の霊だ。

斉の体に取り憑いた黒猫は聞いた。

『お前、記憶が抜けないなら、整備班に回ったらどうだい?』

「いい。俺、みんなと一緒に死にたい。」

『そうか。』

 

訓練の前に便所に行ったのに、また便所に行きたくなり、赤い顔でくちびるをかむ斉に、黒猫が聞いた。

『お前、小便もぬいてもらえないんだな。かわいそうに。』

「俺が、今したいのは、大便の方なんだよ。」

『便所行ってくれば?』

黒猫は斉の肩から降り、消えた。

 

透明となった黒猫は、みんなの腹の中を通って回った。

最後に一番大変な関夫の腹の中を通って、クソを喰った。

 

黒猫は言った。

「うまくは言えないけど、この中では、関夫君が一番大変だったんだよ。」

 

関夫は腹をさすった。博司が亡くなって以来、一度しか大便をしていないが、腹はいつでもすっきりとしていた。

 

訓練中、ハチマキをつけた幸三は鬼の形相で、回天を操縦する。

海中で飛沫をあげ、大きく回天させる。はっきりと目の前に、敵の軍艦が沈む様子が見える。きっとどこかで潰している。幸三はそう思った。

訓練を終えると、回天を元に戻す。訓練中、耐え切れないほどに喉が渇くが、水は飲めないので、『不思議な泉よ、僕の体を潤してくれ。』と、幸三は頼んだ。

訓練を終える時はいつも、死ぬのは来年の7月くらいかなと予想し、まだ生きていたいと強く思った。

 

歯を食いしばるので、鏡で確認して見ると、歯が小さくなっていた。

これでは、まるでジジイと同じ奥歯である。このまま生きるくらいなら、死んだ方がましなのかなと考えたが、首をふった。

「生きたい。」

でも、もう一度、ジジイと同じ奥歯を見て、「死にたい。」と言った。

 

 

上別府は、いつでも記憶が曖昧だった。時には、ナオちゃんの所に行って、英語の勉強をすることだってある。飛沫がたかく上がった瞬間に、目を覚まし、そしてまたつぶるの繰り返しだった。

教官から強く怒られた事も、褒められた事も、ほとんど覚えていない。

 

斉は、ほとんど覚えていた。だからたくさん失敗をして、神本教官も頭をかいた。

でも、黒猫の霊がいつもアドバイスをくれた。

 

関夫は、回天に乗り込むと、博司さんと一緒にいる感じだった。

関夫の母親が、別の男と不倫をしていて、関夫はその事でも腹を立てていたし、他の兵士達の命をこれから奪ってしまうのに、自分の実家がこんな事では、恥ずかしかった。

 

でも、よく自分と一緒に威張ってくれる今西さんの妻も不倫をしている事を知り、気持ちが楽になった。そして、恥ずかしい家庭を持つ威張り屋の自分達を責めない、兵士達にも感謝した。

 

だから、初めての特攻に、志願をした。

 

そして、ついに、特攻の日が、兵士たちに知らされた。

 

菊水隊として、11月8日に大津島回天基地を出撃する。

そのメンバーには、関夫、幸三、斉、今西、上別府たちが選ばれた。

上別府はずっと想像していた。

自分の死の宣告をした後に、「お前らはずっと甘いぃ!!」だとか、そういう言葉を、司令官は発するだろうか?

上別府は、その嫌な想像の言葉を、訓練以外の時間にも、何度も大きな声で発してしまい、ついには、司令官にも聞かれていた。

 

だから、司令官たちは、とても優しく厳しく、自分達を守るようなまなざしで言った。

上別府は、自分が一番弱虫だと信じていたが、名前を呼ばれると、体は大きな声を出し、しっかりと敬礼をした。

 

次々と兵士の名前が呼ばれる中で、関夫は怯えていた。自分の名前が、なぜでない?

ようやく自分の名前が呼ばれた時、少し泣きそうになった。

そして、司令官が、「大丈夫か?」と聞き、ようやく大きな声で敬礼をした。

 

幸三は妄想の中で、運命の乙女と幸せな日々を過ごしていた。だから、名前を呼ばれた時、唇をかんだ。運命の乙女との甘い時間で、ジジイの奥歯のことは忘れていたが、ジジイの奥歯について懸命に考え、死を覚悟し、大きな声で敬礼をした。

 

斉は、黒猫の霊と過ごしていたので、まさか自分が選ばれるとは思ってなかった。

だから、名前を呼ばれた時、息を飲み、頭の回転が止まった。

誰にも見えない黒猫は、斉の頭の上で眠っていて、あくびをして、斉の頭を叩いた。

すると、斉はハッとして、大きな声で敬礼をした。

 

 

出撃の日まで、まだ時間がある。

夜、夢の中で、特攻に行く兵士たちは、両親と会った。

 

関夫は、母親と不倫の事で、話合いをした。

 

誰からも見えない黒猫を頭に載せた斉は、夢の中で両親に、特攻で死ぬ事を話すと、両親は倒れ込んだ。でも、すぐに2人は笑った。

「その黒猫は何なの?買ったの?」

「え‥、この子は、俺の友達だよ。買ったんじゃない。」

「そう。」

 

 

家を出た幸三に、両親が言った。

「でも、幸三が死んだら、お父さんとお母さん、ご近所さんを呼んで、立派なお葬式をするからね。」

「ええ、そんなことしなくていいよ。」

「でも、こんなに立派な男になったのに、幸三がもうすぐ死んでしまうなんて、もったいないね。」

「うん。俺、良い人を連れて来られなくてごめんね。」

「え?」

「俺、結婚できなくて、ごめんなさい。」

 

  • 葬式は簡単にすべき事言ふまでもなし

  • 節様支出の小生学資金は小生遺産中より利子をも加へて御受取被下度

  • 右残高有之節は陸海軍へ折半御寄付相成度

  • 書籍、机、椅子、其の他の品御入用の方は御受け取戴き残余は御売り被下右同様御寄付被下度

身はたとひ 敵艦橋に砕くとも 御国や好かれ 兵我は

昭和十八年九月二十六日 渡辺幸三

 

 

上別府は、夢の中でナオちゃんと御話をした。でも、ナオちゃんは絵を描くのに夢中で、こちらを見向もしない。

「これ、僕のこと?」とたずねると、ナオちゃんは無表情でうなずいた。

 

「宣典、来なさい。」

「え‥。」

上別府は、両親に別の部屋に呼ばれて、2人の前で正座させられた。

そして、神棚に挨拶をさせられて、両親の前で、丁寧に祈りの言葉を捧げねばならなかった。それをナオちゃんに見られでもしたら、お兄様の事を神様だと思ってしまうかもしれないので、恐ろしかった。

案の定、ナオちゃんは見に来た。でも、「おにい様!!」と言って、泣きながら飛びついてきたので、安心した。

 

 

上別府は死ぬのなんかこわくなかった。でも、どんどんと嫌な感情がわいてきた。

上別府は、関夫が司令官たちから呼び出され、廊下で静かに叱られる妄想をした。神本教官も、妄想の中で、関夫に対して大きな声で罵った。

でも、その妄想をした後、上別府は涙が出て来てしまった。

 

斉は、突然、死ぬ事が怖くなってしまった。

これで、寝小便をしてしまったら、ガキ同然だった。斉は、口を四角形いっぱいに広げ、苦しい涙を流した。

すると、黒猫が来て言った。

「どうしたの?死ぬのが怖くなったのかい?」

「うん。やっぱり‥、まだ生きたかったから。」

 

ふわー。黒猫はあくびをした。

「俺の彼女を呼んでこようか?」

「えー、いいよ。メス猫なんて苦手だし。」

「ミーちゃんっていうんだ。会えば、斉の心も安心する。」

 

夢の中の1人部屋で、斉は目を覚まし、ミーちゃんが来るのを待った。

ミャー、可愛い声の白猫が来た。ピンク色のリボンをつけている。

「あなたは、ミーちゃんですか?」

「そうよ。本当の名前はミルクだけど、英語を聞くと、あなたは嫌な気分になるでしょ?」

「はい。英語なんて嫌いです。」

そして、斉は、アメリカ兵を殺すというような恐ろしい言葉を続けた。

ミルクは、聞こえないように、斉に聞いた。

「あなたは死ぬのがこわい?」

「うん、少し‥。」

「大丈夫よ、またいつか、生まれることはあるわ。そして、すぐに幸せになるの。」

ミルクは、斉の指を軽くなめ、消えてしまった。

 

 

「死ぬって、どんな感じですか?」

上別府は、神本教官にたずねた。

「ええ?それは分からんな。俺は死んだことがないんで。」

神本教官は言った。

前に、バルチック海戦の事を話した事を切り出す機会がもらえない凄味だった。

 

「もしかして、恐い?」

「うん‥。」

つい、上別府は、涙をこぼした。

 

神本教官は立ち上がり、上別府を抱きしめた。

「大丈夫。俺は、お前と一緒に行くよ。」

 

神本教官が上別府を慰める様子を目撃してしまった兵士たち数人は、部屋の外から2人が出てきた時に、敬礼をした。

 

休憩中、司令官や神本教官と談笑することもある。それでも、訓練中は、厳しい言葉をなげかけられる。お互い、人が変わっていた。上別府は今まで長い間訓練をして、始めの頃は慣れなかったそういう事も、今では平気になった大人の自分に誇りを感じた。でも、もうすぐ死んでしまうと思うと、切なくなった。

 

でも、出撃の日が近づくにつれ、上別府は記憶をなくす事がさらに多くなった。

朝、起きた事すら、覚えていない。

夕刻、知らない場所で、見知らぬ女性を背後から襲い、何度かお互いうめいたが、結局、自分が一番したい事はできずに終わってしまう。女は、自分が知らない大事な物を抱えていて、こちらを見向きもしないが、自分が女の物を手に入れるのを諦めた瞬間に、女は自分の背中に腕をのばし、キスをしてきた。でも、その時にはもう、それ以上、女に返そうとは思わない。少し優しくして、寝かせてあげるが、その後で何をするかは、自分の自由である。

 

上別府は、内ポケットに入っていたタバコをふかし、テラスに出た。

良い風だと思い、タバコの煙をなびかせていたが、突然冷たい風が吹いた。風は悪魔を連れてくる。上別府は、悪魔に頬をつられた。

『お前はもう戻らないといけない。』

「嫌です、僕はまだ帰りたくありません。」

『ダメだ。』

 

上別府が目覚めると、また基地に戻ってきて、布団の上に寝転がっていた。ナオちゃんの御本をぼんやりと眺めている。

隣の布団の兵士が、上別府を心配そうに見た。

 

上別府は、隣の兵士に言った。

「夜、僕を襲ってこないでね。」

「いや、襲ってくるのは、お前の方なんだぞ!」

兵士は言い返した。

 

 

幸三は、布団の上でぼんやり数えた。自分が1日で起きている時間についてだ。

「1‥2・・3‥。」幸三は顔をしかめた。しっかりと数えてみれば、1時間ほどしか起きていないのかもしれない。

『こういうのって、いつ直りますか?』

幸三は頭まで布団をかぶり、誰もいない場所に向かってたずねた。

『いつか。お前が知らない未来だよ。』

『そんな。では、生きるのはつまらないかもしれない。』

 

「やっぱり、死んだ方がいいですね。」

幸三は、布団に仰向けになり、言った。

すると、近くにいた兵士が、布団をしきながら言った。

「でもさー、幸三はしっかりとしているから、最後まで残った方がいいんじゃない?」

「さぁ、それは俺には分からないなぁ‥。もう選ばれてしまったから。」

 

兵士はマイクを持つふりをして言った。

「長官に告ぐ、長官に告ぐ。渡辺くんを解放せよ。」などと言った、司令官に対して、幸三の命を助けるための言葉をふざけて言った。

 

「いや、もういいよ。」

「ダメだってぇ。俺がしっかり言ってあげるから。」

「ああ、それをすれば、お前は殺されるだろう‥。」

幸三は、遠い目をした。

『三輪長官は、ひどい人だ‥。』

幸三は、今まで想像してきた三輪長官の殺戮について考えた。

 

「灯りを消すぞ!」

「おー。いいよ。」

 

真っ暗になった部屋で、幸三の目から一粒の涙がこぼれた。

「そんな事は、私が忘れさせてあげるわ。」

夢の中に入ると、乙女が幸三に会いに来た。

 

「誰かな?」

「私の名前は、ナツヱよ。」

「ナツヱ?知らない名だなぁ。」

「当然だわ。まだ会った事がないんだもの。」

ナツヱは、幸三の唇にキスをしてきた。

気づくと、2人は浴衣を着ていて、はだけていたので、幸三はナツヱの浴衣に手を入れ、すべすべした背中を抱いた。そして、自分も帯をとり、すぐに2人は裸になってしまった。

愛を交わそうとしたが、裸になってすぐに、ナツヱは良くない事だと気づいたかのように、身を引いたので、幸三はナツヱの腕を引き、自分の腹の上にのせた。

幸三がナツヱを腕枕すると、ナツヱは泣いているかのようだった。

「私、ずっと怖かったの。」

「そう。でもナツヱには俺がいるから、もう大丈夫だよ。」

2人の声はこもってかすれ、女は男の匂いに包まれる。

男は女に自分の匂いをつけたがり、翌朝、男は自分の体についた女の上品な匂いを感じ、高貴な気分に浸る。

 

 

関夫は、死が迫り、だんだんと記憶が残るようになっていた。それでも、記憶があるのは、1日の中で2時間程度だ。

自分の中の子供が出てくるようにもなり、一度寝小便をしてしまった。誰も気づいていないようだったので良かったが、布団はそのままにした。クサくなったら、海水に入ってごまかせばいい。でも、夜に戻ってくると、布団はふかふかになっていた。そうだ、朝も濡れた自分のズボンは、約2分で乾いてしまった。

「はぁー。」関夫はため息をついた。今晩もあの夢を見られたら、どんなにいいか。

自分が露天風呂に入っている最中に、一緒に入っているア子ちゃんを見つけるという夢だ。

その夢の翌朝は、誕生日に女の子から手作りのケーキをもらったのと同じ気分だった。この頃の関夫は、口に出さないものの、心の中ではカタカナを使うようになっていた。

 

斉は、夢の中で、花乃と肉鍋を食べた。

その時、自分の友達の黒猫を紹介した。

「こいつ、クロって名前なんだよ。それで、いつも俺を守ってくれている。」

「へえ、そうなの。えらいのね。」

ニャー。クロはないた。

 

「クロのガールフレンドのミルクっていう白猫もいるんだ。そうだクロ、今度、ミルクを連れてきてくれよ。」

ニャー。クロはないて、窓から外に出て行ってしまった。

斉は花乃と眠ったが、肝心な事を何も覚えていなかった。安心して、熟睡したせいかもしれない。

 

10月30日。出撃まで一週間ほどにせまり、斉は寒気で朝、ぶるぶると震えた。

これから強き兵力を失う大津島回天基地に、新しい男がやってきた。

橋口寛という男だ。

『ハロウィンに赴任しました、橋口寛です。』

寛は面白がって、何度も練習してきたが、兵士達の前では、しっかりとした大きな声で挨拶をした。

でも、訓練が終わると、寛は子供のような目つきで、あの言葉を言う機会をうかがった。

『ハロウィンに赴任してきました、橋口寛です。』

しかし、兵士達は、冷たい顔で寛を見た。自分達がもうすぐ死ぬというのに、まだ長生きする寛が憎らしかったし、博司さんと同じ名前なのも気に入らなかった。

『えーなんで。』

寛は切なくなった。布団をしきながら、隣の兵士に言った。

「なんか、みんな暗いんだね。どうしてなのかな?」

「仕方ないよ。もうすぐ特攻が始まるから。」

「ああ、そっか。」

 

「それで、誰が出撃するのかな?」

寛は聞き、兵士は、出撃する兵士の名前を教えた。

 

次の日の訓練の時、回天の性能について詳しかった寛は、関夫と握手を交わして、

「黒木さんは殉職されましたけど、回天自体には問題がないと思います。」

と言ってしまった。でも、関夫は赤くなって、「あ、ありがとうございます。」と言った。

 

幸三が操縦席で回天をいじっている。

寛は行って、「ここ。」と教えてあげた。「ああ。」と幸三は明るいまなざしを一瞬向けたが、すぐに小さく舌打ちをした。

寛は少し苦しくなったが、子供のような表情で耐えた。

 

寛は潜水艦の操縦席に座る神本教官の後ろについて、潜水艦の操作にも手を出した。

神本教官は寛の手をはらい、「さわるな。」と言った。

「えっ‥でも、ここちがっているから。」

「ええ?」

「このボタンちがいますよ。」

「あ、本当だ。」

神本教官は寛をにらんだ。

 

寛は今まで何度だって、女を抱く夢を見てきたし、もう見るのも面倒なくらいだった。

その代わり、上別府や関夫、幸三、斉と話す夢を見た。

関夫は言った。

「初めての特攻が鍵だと思います。1度やれば、敵に作戦を見破られてしまいますから。」

「じゃあ、2度目からの特攻は無駄なのかな?」

寛は聞いた。

「そんなことはないと思いますけど‥、初めての特攻をする僕たちは、必ず敵をつぶさなければならない。」

 

「敵をつぶすことがそんなに大事?脅すだけでいいんじゃない?」

寛が言った。

クロを撫でながら、斉が言った。

「敵をつぶすこというより、大日本帝国のために、俺たちが死ぬ事が大事なんだよ。なー、クロ。」

「ああ‥。」

 

「僕たちは、アメリカに必ず勝ちます。」

関夫は言った。

 

幸三はその光景を呆然と見つめ、上別府は斉に聞いた。

「その猫、いつから飼っているの?」

「え?クロは友達だから、飼っているわけじゃないんだ。」

「ふーん。」

「あっ。」

クロは斉の手から飛び出て、上別府や幸三、関夫、寛とお話した。

 

1944年(昭和19年)11月7日午後、回天特別攻撃隊として、初めての出撃となる、関夫、上別府、幸三、斉、菊水隊への短刀伝達式が盛大に行われた。

 

カシャ

全員そろっての記念撮影をする。

 

福田斉『あー、あの時の鍋、美味しかった。クロ、お前はそこで見てろよ。』

『いやだ。』

クロは、斉の肩に乗り、一緒に写真に写った。

 

上別府宣典『ナオチャンゲンキデスカ?僕は、変な男の隣に並びましたよ。人生最後なのに悲しいな。』

 

三輪長官『全員皆殺しや。』

 

仁科関夫『自分が死ぬ事は、大日本帝国とは関係ありません。愛する人を守りぬくためです。』

 

神本長官『すぐに俺も死のうと思う。』

 

渡部幸三『はっきりと言わせてもらえば、もう俺は生きていたくない。』

 

そんな事を、みんなが想っていた。

 

夜、酒宴が催され、赤い顔で楽しそうに笑う関夫の体からは霊が抜け出し、12機全てのハッチを開け、機器の状態を調べていた。

 

次の日の午前9時、伊号36、37、47潜水艦を母艦として、各艦に4基ずつ搭載された回天計12基の搭乗員12人が、ウルシー環礁およびパラオのコッソル水道に在泊する敵艦船攻撃のために大津島回天基地を出撃した。

 

伊号36潜水艦には今西、37潜水艦には神本教官が率いて、上別府が乗り込んだ。

47には、関夫、幸三、斉が乗っていた。

3隻の編隊は周防難、豊後水道を進み、沖の島を過ぎた辺りで列を解き、各々の攻撃地点を目指して南下した。

47潜水艦は、ウルシー環礁へと進撃した。

美しい海を窓から眺め、幸三と、誰にも見えないクロを肩に載せた斉はぼんやりと感動したが、関夫はハッとした。

『この美しい海が、大日本帝国の物になれば、いいのかもしれない。』

 

4人はぼんやりとしたり、地図を広げて真剣に話した。

地図を広げて真剣に話す時は、幸三も気分がすっきりとした。

すごく立派な軍人になれた感じだった。

 

斉は椅子に座って、げんなりとした。『あー早く終わらないかな。』

足元に、クロとミルクが来て、斉を見上げた。

『大丈夫よ。あなた達が死ねば、じきに終わってくれるわ。』

ミルクは笑い、クロはミルクに注意するようにないた。

 

ミルクは、囲碁の板の隣で書き物をする幸三と、あやとりをする関夫の方に歩き、2人をしげしげと眺めた。囲碁や将棋の板がちらばっている。

自分達はもう死に、こんな潜水艦に乗る事などもうないので、どうだってよかった。

幸三は、これから痛い目に遭うと分かってはいたが、こんなに特別扱いを受けるとは思ってなかったので、少し気分がよかった。

でも、空の特攻の人たちは、一人で出撃して、特別扱いなどほとんどないと思ったので、少し悔しかった。空の特攻の人に、大好きな人を盗られるのはすごく怖いなと思った。

 

幸三が、ぼんやりと外を眺める斉に声をかけた。

「おーい、ちょっと話さないか?」

関夫も赤い目をして、こちらを見ている。

博司さんの遺骨の白い箱をずっと首にかけたままだった。

 

斉は何も答えないまま、また窓の方を向いた。

『このポンコツ!』

クロが斉の頭をたたき、ミルクも言った。

『あなた、このままじゃダメだわ。』

 

ミルクは、幸三と関夫がいる机の上に乗った。

『ごめんなさいね、斉は少し狂ってしまっているの。』

 

幸三と関夫には、クロとミルクの姿は見えないが、幸三は少し赤くなった。

「おーい、こっちに来いよ。」

佐藤が声をかけ、ようやく斉が動いた。

 

 

11月20日午前0時30分、回天3号艇に佐藤、4号艇に幸三を乗せ、潜航進撃を開始した。

 

斉は、最後になって、グズグズしてしまった。

「大丈夫かな?」

関夫が斉を覗き込んだ。

「いや、まだ当分、無理だと思う。」

斉は言った。

『どうした?』

クロとミルクが現れた。

「やっぱり死ぬのは怖い。もう少し、花乃さんとおしゃべりしたかったし。」

斉はしゃがんで、誰にも見えないクロとミルクに向かって、話し始めた。

『大丈夫さ。斉が立派な男だから、初めての特攻に選ばれたんだ。』

「うん、でも‥。」

 

「斉、アイスクリームだよ。」

烹炊係の男が、アイスクリームを持ってきた。

「あ、ありがとう。」

 

幸三と佐藤は、回天の中でアイスクリームを食べていた。

このアイスクリームは本当に不思議な物で、博司さんと仲良くしていた透明人間の少女が持ってきた物である。

 

幸三はアイスクリームを食べて、少し良い気分になった。

「こういうのを食べると、ブタになる。もう死ぬから関係ないけど。」

怒ったように、幸三はアイスを置いた。

早くココから出て、いなくなりたかった。でも、透明人間のアイスを食べて、こうして死ぬのは平気に思えた。

 

透明人間の少女はアメリカと日本を行き来していて、いろいろな人のお手伝いをしてきた。狂った兵士の大便を片付けることもあったし、いろいろな事をした。

長い間、憑りついて助けてきた女性のレイラが、油送船ミシシネワには乗っていた。

レイラは甲板で、髪の毛をたなびかせていた。いろいろな経験をしてきたが、今、こうして、立派な船の乗員になれたことは誇りに感じていた。

風がレイラに言った。

『あいつらがやってくるよ。』

『私の船に男が突っ込んでくるってこと?』

『うん、そう。もうじきだよ。』

『じゃあ、みんな死ぬわね。切ないけど、仕方ないわ。』

レイラは言った。

 

 

 

 

午前3時、「1,2号艇、乗艇用意!」の発令を受けて、『七小報告』の白ハチマキをしめた関夫と斉が、発令所に入った。関夫は、博司の遺骨を首から下げ、

「お世話になりました。ありがとうございました。」

関夫は全乗員に挨拶をした。

関夫は電動機室から1号艇に、斉は機械室から2号艇に乗り込んだ。

 

午前4時、博司が乗り移った関夫は電話で、「1号艇、発進はじめよしっ!」と伝えた。これが、命をかけた人生最後の仕事になる。超早送りで、関夫の脳内には、今までの人生が流れ、関夫は髪の毛を逆立て、全身をメラメラと燃やした。

「後を頼みます、出発します。」

関夫はもうほとんど無感覚で、発進し、ドーンという熱騒音を響かせた。

 

ミシシネワのレイラは、音を聞き、目を見開いた。

 

関夫は、海中を旋回し、サメよりも早く、クジラよりも強いスピードで、油送艦ミシシネワに突入した。

 

ミシシネワの乗員は、ぐらりと揺れて、倒れ込んだ。

 

その5分後に、佐藤の3号艇。

そして、その5分後に、心を決めた幸三が発進した。

幸三は最初、緊張のあまり、触る場所を間違えてしまった。

その瞬間、海中をただよっていた透明人間の少女は、目を見開き、幸三の下へ来た。

しかし、そこにはもう先客がいた。

透明な龍である。

「幸三はいい。俺がしっかり面倒を見る。」

龍が言い、幸三の体を動かした。龍も、本当はアメリカの人間を殺すのは怖かった。

だから、回天の動きをあまくした。そして、なんとかして、幸三の人生を助けたかった。

 

透明人間の少女は、幸三を気に入っていた。最後に、生きている幸三に触りたかった。

なんとかして手を伸ばし、幸三の手にふれると、幸三は回天を全開にして、突入した。

 

残るは斉だけである。こんなに轟音が鳴っているのに、自分が突入する意味があるのだろうか?でも、今戻れば、きっと艦長に殺されて、海に捨てられるのだろう。

『斉、しっかりしろ。俺たちも一緒にいる。』

クロは言ったが、斉の体はプルプルと震えていた。

『斉、大丈夫よ。』

ミルクが斉の頬にキスをした。

クロが斉に耳打ちをした。

『斉、こう言うんだ。』

「バンザァイッ!!」

斉はついに突入をした。

 

透明人間の少女は燃えるレイラに再び憑りつき、炎のスピリットとなり、ミシシネワに大火柱をあげた。

 

36潜水艦から発進できたのは、今西だけだった。今西はいつでも関夫を助けるために、仲間に向かって怒鳴り散らした。だから、ここで戻れば、自決しかなかった。だから、もうここで死にたかったのだ。

 

 

37潜水艦はというと‥、前日の午後3時、敵の軍艦を発見したので、回天で突撃準備に入っていた。上別府は直前までナオちゃんの御本を読んでいて、動こうとしない。

神本教官が上別府に話しかけると、上別府はキリリとした顔で神本教官を見上げ、敬礼をした。

上別府は無事に回天に乗り込んだが、「通じが‥。」という電話が入り、急いで、上別府は回天から回収された。整備班の男たちも良い人だったと思う。

 

神本教官は潜水艦を運転しながら、上別府を見て、ため息をついた。

 

しかし、遠くのモーター音を聞いた神本教官はハッとした。

そして、電話をした。「回天の突撃員、ただちに潜水艦に戻るように。」

整備班は急いで、回天から突撃員を回収した。

 

「どうしたんですか?」

神本教官の後ろに座った上別府が聞いた。

「敵艦に発見されてしまった。」

「ええ、じゃあ、俺たちが行って、倒してくる?」

「そんなに簡単じゃないって。」

神本教官がため息をついた。

 

「みんな、すまないが、死ぬ覚悟をしてくれ。」

「はい。」

整備班の男たちも白ハチマキをつけ、お祈りを捧げた。

神本教官が白ハチマキをしめ、上別府も白ハチマキを締め直した。

 

神本教官は逃げるように10分ほど操縦しただろうか?

クジラやシャチがいる。まるで自分達の存在を、敵艦に知らせに行っているかのようで、憎らしかった。

イルカが目の前に泳いできて、『こっちだよ。』と知らせるように、下に降りていく。

ついていけば、助かったのかもしれない。でも、神本教官には、神本教官なりの考えがあった。

『終わる時は、簡単に終わらせるだ。』

神本教官の親父がよく言っていた言葉だったが、そのたびに神本教官はムッとしていた。

神本教官が終わるまで意味が分からなかったが、親父は大切な親友を自殺で亡くしていた。

 

「終わる時は簡単に終わらせてやる。」

神本教官はつぶやいた。

整備班の男たちは手を組み、祈りを捧げている。

上別府もうなだれた。

 

敵艦は爆雷攻撃を受けた。

みんな前のめりになり、次の瞬間、爆発した。

 

 

『お兄様、死ぬ事は痛くないのですか?』

『ナオちゃん、死ぬなんて、すぐに終わっちゃうよ。突然光って終わるんだから。』

『それは特攻ですか?お兄様は、人殺しになったのですか?』

『ちがうよ、ナオちゃん。お兄様はね、殺されて死んだんだよ。』

『それは‥、よかったです。』

『よかった?もう会えないのに?』

 

気づくと、上別府の霊は海中でふわふわと浮いていた。

『あっ‥。』

 

『神本教官の足がある!』

上別府は神本教官の残りの体を探して泳いだ。

『整備班の子の腕が‥。』

上別府は仲間たちの残骸を拾った。

 

『ヨシノリ、私の体に入れなさい。天国まで持って行ってあげるから。』

大きなクジラが口を広げてきたので、ヨシノリは仲間の体を入れた。

 

神本教官は高貴な家具が並んだ、クジラの腹の中で目を覚ました。

突撃員や整備班の男たちもいる。

「あれ、ここはどこですか?」

整備班の男が聞いた。

『ここは、天国行きのバスです。』

「ええ、そんな。」

男たちは、ざわめいた。

 

神本教官は椅子に座り、窓から美しい海の中に沈んでいく潜水艦の残骸を呆然と見た。

先ほど憎らしいと思っていたクジラやシャチは、爆雷をうけるために、潜水艦を通り過ぎたのだということが分かった。

上別府はクジラの腹の中を泳いできた。

「神本教官!」

「上別府!来てくれてよかったよ。」

他の隊員たちも笑った。

 

「みんなで一緒に天国に行けるね!」

上別府は言った。

 

 

1945年8月15日。日本は、敗戦の日を迎えた。

この日のために、幾度どれほどの準備をしたのだろう?

しかしその瞬間、私は愚かにも嗚咽してしまった。

それは日本国民全員が同じだった。

 

橋本寛は、みんなに守りぬかれて、ついに特攻の夢が叶わなかった。

血書を提出し、懇願したが、許されなかった。

 

敗戦を祝って、酒宴をした後、酒の匂いが消えるのを夜風に当たり、待った。

そして、真っ白な第二種軍装で自分が乗るはずだった回天に乗った。

 

寛は良い男だった。日本のために闘った立派な政治家が殺されるよりも、自分が身代わりになってあげたかったので、自決という決断に迷いはなかった。

寛は、自分の心臓を撃ち抜き、自決をした。

 

次の日は、真っ青な青空が広がっていた。

2人がかりで、寛の亡骸は運び出され、寛はその光景を離れた場所から眺めた。

 

寛は天国への階段を、真っ白な第二種軍装で駆け上がった。

先に来ていた博司、関夫、幸三、斉、上別府、神本教官たちが拍手で、最後の一人である寛を出迎えた。

 

End

 

 

I miss you

 by Shino Nishikawa

 

 

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